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国際交流 連綿と 10回目の使節団 大連へ

国際交流 連綿と 10回目の使節団 大連へ

投稿日時:2017年08月01日(火)

 市は6年ぶりに「舞鶴少年使節団」を中国の大連市に派遣する。それにともない、市政記念館で7月25日、結団式兼壮行会が開かれた。四半世紀に渡る人的交流は確かに根付き、次なる果実をもたらそうとしている。

 遼東半島の最南端に位置し、中国東北地区を代表する港湾工業・物流都市、大連市。人口は600万人に達しようとする大都市だ。舞鶴市とは、昭和57年5月に友好都市提携が結ばれた。以来さまざまな分野で交流が展開されているが、平成4年に大連市からの少年使節団が来鶴してからは、隔年で受け入れと派遣を交互に行ってきた。ここ数年は、日中関係の悪化などもあり、使節団の交流は途絶えていたが、昨年は大連市からの使節団が来鶴。それを受け、友好都市提携締結35周年の節目である今年、通算10回目となる当地からの使節団の派遣が決まった。使節団は市内の小学6年生18人と引率者6人からなる。2日に出発し、6日に帰国の予定。滞在中は大連市内の小学生らとの交流やホームステイ、市内視察などで、文化を学び友好を深める。多々見市長は「大連の人たちはとても友好的。仲良くしようという気持ちをもてば必ず理解してもらえる。積極的に行動して良い思い出をたくさん作ってほしい」と激励の言葉を贈った。団員の児童らは、現地で披露するため、6月から6回にわたり合唱やリコーダーを練習してきた。壮行会では、保護者や関係者らを前に、中国語で歌う「幸せなら手を叩こう」やリコーダーでのラバースコンチェルトの演奏、舞鶴ソーランの踊りなど、練習の成果を発表し、中国語でのあいさつや自己紹介も披露した。「日本と舞鶴の良さを伝え、大連の良さを勉強してきます」と力強く話した定友凱(がい)さん(与保呂小)は、絵が好きなことなどを中国語で話せるように勉強したという。「ホームステイが楽しみ、大連の小学生とは一緒に習字をしたい」と期待に胸を膨らませていた。

【次代へ繋ぐ国際交流】

 市では長年にわたって地道な国際交流が続けられている。ロシアのナホトカ市とは近年スポーツ交流を盛んにし、当地で初めて触れたソフトボールがナホトカで徐々に競技人口を増やし、現在は同国の代表チームの選手を輩出しているという。また、英国ポーツマス市には、毎年語学研修生が渡航している。当地から異国の地に羽ばたき、国際交流を体感した子どもたちは、いま次の世代にバトンを渡そうとしている。市職員の坂谷真唯(まい)さん(22)は、10年前に使節団の一員として大連に旅立った一人だ。倉梯第2小の児童会長だった坂谷さんは、「仲間と一緒に過ごした日々は忘れられない」と当時を振り返る。現地の人たちは親しみやすく、言葉が完全に通じなくても想いは伝えられた。経験は自信に繋がり、両親に頼んで先方からの使節団が来鶴した折には、ホストファミリーに名乗りを上げた。進学した大学では中国語も専攻し、この春からは舞鶴にUターン。使節団の団員だった時、親切にしてもらった市職員にずっと憧れていたという。倉梯小教諭の多田佳代(かよ)さん(29)は、18年前に大連に渡った。神崎小の児童会長だった多田さんは、児童10人の使節団の一人だった。「目にする全てが新鮮だったが、何より人が優しかった」と振り返る。使節団での経験は、その後の進路を決定づけた。中国語への興味は年々ふくらみ、進学した京都市内の大学では中国語を専攻した。大学在学中には、中国長春市に1年間留学した。「いろんな夢をかなえられたのは、あの時があったから」自身が手にした変化の機会。今度は伝える側にまわろう。そう思った。「あの時があったから今がある」使節団経験者の二人は、口をそろえた。今回旅立つ18人の子どもたち。次のバトンを受け取った子らの活躍に期待したい。

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