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変わりゆく商いの姿 時代の趨勢を乗り越え、「みらい」へ

変わりゆく商いの姿 時代の趨勢を乗り越え、「みらい」へ

投稿日時:2017年09月05日(火)

 市は余部下の中総合会館で、このほど「第3回舞鶴市みらい戦略推進会議」を開催した。平成27年に策定した「舞鶴市まち・ひと・しごと創生総合戦略」の進捗状況や次期総合戦略の立案について、委員から活発な意見が寄せられた。

【まちの課題が浮き彫りに】

 同会議には各界より42人の委員が出席し、多々見良三舞鶴市長によるプレゼンテーションの後、出席委員それぞれが意見を述べた。同総合戦略の政策目標は、交流人口300万人・経済人口10万人を目指すというもの。今年度はその3年目に当たり、細分化された数値目標に対しての達成状況が報告された。それによると、平成26年の基準数値と比較して、設定された108項目の重要業績指標のうち、約7割が上昇したという。中でも高速道路網の完成などにより、大幅な増加傾向にある観光入込客数の増加や、5年間でおよそ10倍に増えたクルーズ客船の寄港など、確実に数値に表れた成果が次々に発表された。一方で、「定住人口の減少抑制」に向けて重要になる「中心市街地における商業機能の活性化」の項目では、数値目標を大幅に下回った。市は、「舞鶴版コンパクトシティの形成」に向け、その中核を担う商店街の活性化を目指しているが、消費者の購買行動は多様化の一途をたどり、事業者の思惑も様々であることから、実現に向けての道のりは険しいと言わざるを得ない。

【商環境の多様化】

 昭和52年。西地区の商店街を激震が襲った。市内で初めてとなる大型店の進出。当時は、大きな環境の変化による商店街の衰退が危惧された。しかし、まちなかの大型店と商店街との共存関係は続き、皮肉なことに大型店の郊外移転による既存店舗の規模縮小の後、本格的な衰退がはじまった。現在は空き店舗が目立ち、西地区では、組合組織の解体が議論され始めている商店街もあるという。市内各地、様々な小売店で再編が進んでいる。以前は「地域での消費」を担った農協も様変わりした。平成9年に、舞鶴農協、舞鶴中筋農協を含む9つの農協が合併し「JA京都にのくに」に改名したことをきっかけに、合理化による廃統合が進む。同15年には、市内17支店を統合。同18年に4支店に吸収合併された。「これからはどこで買おう」贔屓の店がなくなって、いわゆる「買い物難民」が生まれるケースも増えてきている。そんな中、民間企業による移動販売車も増えている。フクヤが運営する「とくし丸」は当初、西地区、東地区に限定した販売だったが、現在は、大浦地区や白杉地区、加佐地区などにも配達する。神崎地区に住む女性は、「車に乗れなくなったので、丹後鉄道で西舞鶴まで行き、薬を買うついでにバザールで買い物をする。体が動かなくなったら、移動販売を利用したい」と話す。新たな商業施設の計画も浮上している。平成19年に大規模火災でその大部分が焼失した旧ダイワボウマテリアルズ舞鶴工場跡地に、同28年、ジュンテンドーがホームセンターを核とした商業施設の建設を計画していることが判明した。計画の詳細は未だ不明だが、実現すれば西地区の商環境が大きく変貌することは間違いない。人口減少、少子高齢化と、商店を取り巻く環境はかつてないほど厳しくなっている。しかしそんな中、インターネット販売に活路を見い出す事業者も増えている。「売り上げのほとんどは、ネット販売。まちのためにも頑張ってどんどん外貨を稼ぎたい」と話す事業者の鼻息は荒い。時代が移り変わり、環境が変化しても、街の活力は人の活力によって生み出される。道半ばの当地の挑戦。事業者たちの更なる奮起を期待したい。

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