共生社会が未来をひらく
投稿日時:2018年08月17日(金)
平成最後の年となった今、社会は刻々と変化し続けている。「人生100年時代」「超少子高齢化社会」の課題は山積しており、その解決に向けて「共生社会」をいかにして実現するかが、重要な論点になっている。そんな中、京都府はその推進に向けて大きく舵を切っており、様々な事業が展開されているが、当地でも「共生社会の推進」は様々な場面で、脈々と取り組まれ続けている。
【原点は「ひとのこころ」 つないで紡いで大きな力に】
桃山町の舞鶴双葉寮で5日、夏の恒例行事となっている「双葉まつり」が行われた。児童養護施設である同寮では現在、幼児から大学生までの52人が共同生活を送っている。同寮には様々な家庭の事情で養育を受けられない児童らが入所し、集団生活をしながら生活のルールや人間関係を学んでいる。築40年になる同寮の施設は老朽化が進み、建て替えが決定している。現在の施設で行う「双葉まつり」は今回が最後とあって、職員や児童らは、例年に増して強い思い入れで、当日に臨んでいるようだった。「多くの人たちの支えで、今年も開催することが出来た。人との関わりの中で子どもたちが笑顔になる。こんなにありがたいことはない」と寮長の仙田修二さん(68)も笑顔を見せた。
【紡がれた子どもらへの想い】
戦後間もない昭和21年。故人である先代の寮長、仙田順は、引き揚げ孤児の保護を始めた。新聞記者として朝鮮半島で終戦を迎えた順は、およそ300人の同胞を引き連れて本土へと引き揚げた。その間、数多くの子らが「足手まとい」とみなされ、見捨てられる場面を目の当たりにしたという。その時の強烈な記憶が、その後の順を児童養護へと駆り立てた。引揚援護局に収容された戦災孤児を引き取ったのが、「舞鶴双葉寮」の始まりだった。若葉が開いた頃から愛情を持って接することで、心豊かな人間へと成長させたいという思いが、その名に込められた。現寮長の仙田さんは、昭和24年に北海道の室蘭で生を受けた。製鉄所に勤務する父と、順の姉である母との間に生まれた4人兄弟の三番目であった。仙田さんは、中学2年生の時に、単身舞鶴に渡って順の元に身を寄せることになった。そこでは入所者の一員として日々を過ごした。青葉中、東舞鶴高と進み、京都市内の大学へと進学後は、別の施設で経験を積み、帰鶴後は満を持して、「我が家」でもあった施設での挑戦が始まった。以来40数年、当地での児童養護の第一線に身を置き続けた仙田さん。戦災孤児が多かった昔から比べると、現在の入所者は親のいる子が圧倒的に多い。「昔は貧困とは言え、愛情があった。だけど、やむにやまれず預けられるケースが多かった」と仙田さん。しかし今は、自分の親さえ信用できない子がいるという。「幼いころ愛情を受けて育った子には、自然と「助け合う気持ち」が芽生えているが、そうではない子に思いやりや優しさを育むのは並大抵のことではない。だからこそ、施設だけではなく、多くの方との関りが子どもたちを見守る場面が必要になる」
【共に手を携えて 社会の課題に向き合う】
奉仕団体の舞鶴ライオンズクラブ(谷田恵一会長)が設えた射的などの屋台からは、歓声や笑い声が絶えなかった。献血などの社会奉仕活動に励む同クラブでは、このまつりへの参加も恒例行事となっているという。建て替え前の最後のまつりとなった当日は、多くの会員が子どもたちと触れ合った。「テレビの向こうで日々起こっている痛ましい事件。それらは遠い出来事ではない。社会の課題の解決に、我々も微力を捧げたい」と会員は話していた。「共生社会の推進」大げさなお題目ではあるが、その始まりは1人ひとりの心の中にある。72年前、仙田順を突き動かした強烈な原体験。以来脈々と受け継がれた思いの強さの中に、閉塞した社会の突破口を感じた。弊紙では今後もこうした事例を紹介し、新たな運動の芽吹きを期待したい。
共生社会が未来をひらく
※紙面より一部抜粋
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