人気連載100回目の節目~東高教諭の廣瀬さん執筆『舞鶴の山城』
投稿日時:2019年04月26日(金)
本紙の人気連載「舞鶴の山城」が、今号の掲載で100回の節目を迎えた。平成21年から始まった連載が、10年の月日を経て積み上げた金字塔だ。筆者の廣瀬邦彦さん(59)は、東舞鶴高で教鞭をとる現役の社会科教諭である。NHK大河ドラマ「麒麟が来る」放映で、当地の郷土史も脚光を浴びる可能性が論じられる現在、長年に渡って地道に活動を展開してきた廣瀬さんらの活躍が期待されている。
「舞鶴の山城」は、市内各地に点在する山城の遺構を、地理的・歴史的な観点から紹介・解説する連載記事だ。舞鶴山城研究会が発刊した「舞鶴の山城」を紹介するという趣旨で、平成21年に短期連載が始まり、好評を博したことから定期連載に至った。「まさか100本も書くとは思ってもみなかった」と廣瀬さん。長期の連載が続いた背景には、仲間の存在が大きいという。「決して自分ひとりで考えたわけではなく、みんなで考えたことを書かせてもらっている。そういう意味では仲間たちとの合作と言ってもいい」と廣瀬さんは微笑んだ。
【山城の原体験】
廣瀬さんは、昭和34年に浜で生を受けた。生家は明治から続く履きもの屋を大門通りで営んでいた。3つ下の弟との2人兄弟で、遊びといえば店の前のアーケードでメンコ。「街っ子」として、廣瀬さんはすくすくと成長した。そんなある日のこと、母方の実家である丹波市で、祖父に連れられ地元の黒井城を訪れた。小学3年生の頃のことである。華美な天守閣があるわけでもない山城の遺構は、何故だか廣瀬少年の心を揺さぶった。どんな内容かは覚えていないが、その日の体験は原稿用紙40枚にしたためられ、担任教師に激賞されたという。それが、廣瀬さんと山城との最初の出会いであった。しかし、それ以来、山城が心に巣食ったというわけでは決してなかった。むしろ、あの日の衝撃は胸の奥底にひっそりと仕舞い込まれ、再び開かれる日をただ待ち続けていた。
【学ぶことの喜び】
「お金勘定で人生が終わるのは性に合わない」と、早々に店の後継ぎをしないと宣言した廣瀬さんは、教師の道を志すことになった。大学生活で仲間と議論する喜びに目覚め、「これこそ本当の勉強だ」と痛感した。「受験勉強の先にある学びの喜び」を高校生と共有出来たらとの思いが、進路選択の原点だった。園部高を皮切りに、西舞鶴高、大江高で教鞭をとり、教師としてのキャリアを積んでいったが、40代半ばに差しかかった頃に転機が訪れた。参加した市の歴史ボランティア養成講座で、再び山城に出会ったのだ。最初の出会いからおよそ30年。再び灯った少年の日の興味は、日を追うごとに膨らんだ。以降は一つの興味が次なる興味を呼び、文字通り「山城」にのめりこんだ。「織田、豊臣を知っていて、地元の殿様の名を知らないのはだめだ」と、地元の歴史も教えたり、総合学習でフィールドワークにも積極的に出るようになるなど、教え方の幅も広がった。「歴史は事実を一方的に伝えるしかない科目だが、想像力を喚起する伝え方をすれば、生徒の表情がガラリと変わる瞬間がある」と廣瀬さん。教職のゴールが見え始めてきた今、学ぶ喜びを伝道するその情熱は、輝きを増し続けている。学ぶ意欲を掻き立てるには、いかにして好奇心を喚起するかが重要だ。そして、そのためには、通り一遍ではない「知の魅力」を伝える力が欠かせないし、そうした「知のタスキリレー」の先には、豊かな未来が待っていることだろう。これからも廣瀬さんをはじめ、舞鶴山城研究会の更なる活躍に、大いに期待したい。
本紙では、郷土の歴史に光が当たり、郷土を愛する心が醸成されるよう、今後も「舞鶴の山城」連載を継続いたします。連載100回目の節目に当たり、筆者の廣瀬邦彦さんをはじめ、舞鶴山城研究会の会員の皆様のご協力に対し、紙面を通じて感謝申し上げます。以下、同会会員を紹介いたします。(敬称略)
春日隆志/小西とも子/小室智子/新郷親樹
高橋成計/廣瀬邦彦/福嶋将人/福田照男
前野治男/牧野雅司/増山政昭/松岡秀雄
松崎健太/松本達也/山下 正
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