被爆の記憶 次世代へ~体験伝承者の平田さん 若浦中で講話
投稿日時:2019年05月21日(火)
長崎県の被爆体験伝承者である平田周さん(60)が10日に来鶴し、若浦中学(宮川啓三校長)で講話をした。22日から修学旅行で長崎県を訪れる3年生を含めた全校生徒約120人が、被爆直後の悲惨な体験を聞き、平和の尊さを学んだ。
被爆者の高齢化が進み、体験者から直接話を聞く機会が減るなか、修学旅行や観光で訪れた人だけでなく、全国で体験を伝える「長崎県被爆体験伝承者派遣事業」を同校が活用。事業は国立長崎原爆死没者追悼平和記念館が昨年度から始めた。平田さんは、母方の家族が被爆。祖父である松尾あつゆきさんのつけていた日記を引用しながら、原爆投下の8月9日から終戦を迎えた15日までの家族の様子や、子どもたちを失っていく苦しみを伝えた。11日までに12歳の海人さん、3歳の宏人さん、7カ月の由紀子さんが死亡。祖母の千代子さんも3日後に亡くなった。3人の子どもと妻を火葬する苦しさを、自由律俳人でもあった松尾さんは「なにもかもなくした手に四まいの爆死証明」とその心情を書き綴った。当時15歳だった母のみち子さんも学徒動員で働いていた時に被爆した。なんとか一命を取りとめたが、原爆症により生涯大量の薬を飲まなければならなかった。平田さんは「母は死ぬ直前まで、語り部として活動していた。私もその意思をついで、核兵器がこの世からなくなるよう、ずっと訴えなければならない」と話した。生徒会の猪野北斗さん(14)は「話を聞き、改めて戦争はしてはいけないのだと感じました。後世に伝えなければならないと思いました」とお礼の言葉を述べた。
【中学生語り部が引き揚げの歴史を発表】
後半は、語り部として活動する8人の生徒たちが、シベリア抑留などについて生徒や平田さんに向けて発表した。シベリアでの過酷な抑留生活や、岸壁の母のモデルになった端野いせさん、引き揚げ者たちをもてなした舞鶴市民などについて説明した。平田さんは「若い人たちが伝えていくことは大きな力。活動をどんどん広げていってほしい」とエールを送った。交流の場面では、生徒からの「平和とは何か」との問いに、「子どもたちが笑って過ごすことができる世の中が平和だと思う」と答えていた。別の生徒は「自分は(引き揚げの)語り部ではないが、とても知識が広がりました」と話し、平田さんは「皆さん一人ひとりが語り部だと思う。今日の事を家族に話してくれたらうれしいです」と語りかけていた。語り部として活動する酒井純怜さん(14)は「(発表は)緊張したけど、自分にとって良い経験ができた。講話も声や感情を込めて話されていて、とても勉強になった」と話していた。
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