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舞鶴署・中野警部補 全国大会で初優勝

舞鶴署・中野警部補 全国大会で初優勝

投稿日時:2020年02月14日(金)

 舞鶴署で警務係長として勤務する中野貴裕警部補(40)が、2日に横浜市で開催された「第7回全日本選抜剣道7段選手権大会(通称=横浜七段戦)」に初出場し、優勝の快挙を成し遂げた。不惑の剣士がもたらした吉報に、舞鶴の剣道界が沸き立っている。

 横浜七段戦は、個人戦の機会が少ない七段の剣士に試合の機会をと、雑誌「剣道時代」と神奈川県剣道連盟との共催で2014年に始まった。このカテゴリーで以前は、「剣豪丸目蔵人顕彰全日本選抜剣道七段選手権大会」が熊本県錦町で長年開催されていた。しかし、諸般の事情により同大会が幕を閉じ、再開に向けて立ち上がったのが同誌だった。最近では運営費をクラウドファンディングで募り成果を上げていることからも、愛好家から望まれる大会であることがうかがえる。同誌は大会のコンセプトを「第一試合から決勝戦」としており、出場選手は過去の戦績などを考慮し運営側が選考する。今大会は、これまで国内や世界の様々な大会で活躍してきた国内選手16人と、韓国からの招待選手2人を迎えて開催。一流選手らが虎視眈々と頂点を目指す大会が幕を開けた。

【些細なきっかけで 剣の道へ】

 京都市内に生まれた中野さん。剣道との出会いは、小1まで遡る。姉2人の末っ子長男。大事にされることで気弱な子になるのを案じた父が、道場入門を勧めた。全く気乗りのしない提案だったが、ファミコンを買ってくれるという交換条件に心が動いたという。だが入門後しばらくは、外まで聞こえる悲鳴にも似た掛け声に気圧され、入り口を前にしり込みすることもあった。そんな中、指導者との出会いが、中野さんを剣の道へとのめり込ませた。褒められる喜び、勝つと喜んでくれる両親。いつしか、ファミコンを忘れるほどに剣道が好きになっていった。中学では京都一になり、剣道の名門である日吉ヶ丘高ではインターハイで準優勝。順調に腕を磨き、成長した。その後は法政大に進学し、卒業後は京都府警機動隊に入隊。社会人となってからも、剣道中心の生活が続いた。全国警察大会での個人2位や、世界大会出場など戦績は華々しかったが、全ての大会を通じて頂点に達したことはなく、優勝を渇望していたある日、悲劇が襲った。2012年、イタリアでの世界大会の選手に選ばれていた中野さんは、大会前に左ハムストリング総腱断裂の大けがを負ってしまう。臀部と脚部をつなぐ腱の断裂は剣道では珍しく、手術は8時間を要した。術後に医師から語られた言葉は、「少年剣士に指導するくらいしか出来ないと思うように」と絶望的なものだったが、続けて医師はこうも言った。「万に一つ、ケガでかえって上達する場合もある」

【執念で活路開く 逆境乗り越え頂点へ】

 全国から選りすぐりの選手たちは強豪ぞろい。加えて身長170cm、体重67kgの体躯は出場選手の中で最も小柄だった。予選のリーグ戦では、運悪く5人のグループに。4試合を戦い、最後の一戦で二本を取ったことで決勝トーナメントに滑り込んだ。「けがをしたことで、効率の良い動きが出来るようになった」と話す中野さんのリハビリは壮絶を極めた。剣道の動きが出来なかった2年間、心の練度は深まった。そして、再び姿を現した勝利への渇望。子どもの頃から全ての試合を見に来てくれる両親。剣士でもある妻と幼い我が子。剣道のできない自分に存在意義はないとさえ思い、雌伏の時を過ごすうち、「勝つ姿を見せて喜ばせたい」との思いはかつてなく高まっていった。迎えた決勝戦。シルバーコレクターとの決別を誓った試合で、見事勝利を勝ち取った。中野さんは「今までは練習出来て当たり前の環境だったが、短い練習時間を有効に使おうと考えることが技の広がりにつながった」とし、「職場の皆さんをはじめ多くの方の後押しで勝てた」と感謝を述べた。奇跡の復活から、最高峰の大会での初優勝。不惑の剣士は、更なる高みを目指して歩み続ける。

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