史上最年少の舞鶴市長「20日に登庁式」
鴨田秋津氏・本紙独占インタビュー
投稿日時:2023年02月17日(金)
任期満了に伴う舞鶴市長選で、現職ら3人を破って初当選を果たした鴨田秋津氏が10日、舞鶴市民新聞社で独自インタビューに応じた。鴨田氏は当選後、様々なメディアで露出が増えており、先日はKBS京都でテレビ出演も果たした。新市長の誕生がこれほどまでに注目を集める理由としては、歴代最年少での就任となる「若さ」に加え、大阪府以外では初めて維新系の首長であることが挙げられる。精力的にこうした取材に応じている鴨田氏は、「元宮崎県知事の東国原さんのように、例えば特産品のPRなど、舞鶴を様々な場面で売り込んでいきたいと考えています」と力を込めた。
鴨田氏は1981年に西舞鶴で生まれた。妹が一人のふたり兄妹。名前の「秋津」は、岡山県出身で長く海上保安庁に身を置いた祖父、和彦さん(88)が名づけた。巡視船「あきつしま」の名前にもなっている「秋津島」は、古事記や日本書紀で日本の呼称として用いられた。名づけには、「いずれ日本を背負っていくような男になれ」という願いが込められたのだそうだ。
そんな名前を鴨田氏は、「変わっていて嫌でしたし、母も嫌がっていました」と苦笑する。しかし、常に厳しく薫陶を受けた祖父の影響を色濃く受け、鴨田氏は成長する。後年になって自身もPTA会長を務めた中筋小在学中に柔道を始め、「最初は全く芽が出ませんでした」と振り返りながらも、共栄学園卒業後には武道の名門である拓殖大に進む。長年に渡って取り組む柔道では、嘉納治五郎の思想「精力善用 自他共栄」を学んだ。
「精力善用」とは、相手をねじ伏せたり威圧したりすることに力を使わず、世の中の役に立つことのために能力を使うことを意味し、「自他共栄」は、互いに信頼し助け合うことができれば、自分も世の中の人も共に栄えることができるという考え方。政治家となった今でも、鴨田氏の政治信条の中核となっている。
大学卒業後には警視庁の警察官として、2年間の交番勤務を経験。その後、家業に入るために帰郷したものの、セミナーへの参加をきっかけに政治の道へ。平成27年には京都府議選に出馬したが、得票率約14%で落選し苦杯を舐めた。
倒れては起き上がりのこれまでを支えたのは「家族の存在」だと鴨田氏。中1を筆頭とした1男2女の子どもたちは、全員が柔道に打ち込んでいる。「強要はしたことありません」としながらも、「子どもたちと共有できる価値観があり幸せです」と話す。また、「出馬に反対しなかった妻には感謝しています」と笑顔を見せた。
20日には登庁式があり、いよいよ若きリーダーの挑戦が始まる。3月には市議会も開会するが、いわゆる「ねじれ」となる議会運営に関して鴨田氏は、「しっかりと対話し協力を求めていく。何でも反対、何でも賛成ではなく積極的に議論し、より良い方向に進みたい。舞鶴を良くしたいという思いは誰もが同じ。道は必ず開けると確信しています」と抱負を述べた。
本紙の読者投稿欄にあった「市議選での市長推せん」にも触れ、「府北部で今も残る悪習。二元代表制を否定する行為であり、私は決してしません」と断言。また、同様に本紙読者から数多く寄せられている「ヅルいい!舞鶴」の是非についても、見直しを検討していく」と話した。
新体制が動き出してくれば、「(本紙)読者との懇談会などへの協力も進めたい」と話した鴨田氏。本紙はそうした機会の実現を目指し、読者の皆様からの「市政に対する提言や意見」を募集する。
「開かれた市政を目指す」としている新市長に、様々な意見などをお寄せください。
【FAX0773・77・1750、舞鶴市民新聞社。またはEメール(maipress@topaz.ocn.ne.jp)へ】
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