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市民グループ 蛇切岩伝説の記念碑建立

市民グループ 蛇切岩伝説の記念碑建立

投稿日時:2021年06月25日(金)

平安時代に起源の民話
豊かな歴史を感じるきっかけに

● 記念碑の完成を祝う式典であいさつする西村代表

 NPO法人「舞鶴ドリーム 与保呂川を桜の天の川にする会(西村敏弘代表理事)」が彌加宜神社(大森神社、森)の本殿東側に「蛇切岩伝説記念碑」を建立し6月19日、完成を祝う式典を行った。同会長年の念願だった記念碑が完成し、関係者らの間に喜びが広がっている。

 与保川沿いに桜の植樹活動を続ける同法人は、「じゃきり岩の会」の部会をつくり、2009年から市内各所に民話を伝える案内板の設置を行ってきた。
 多門院と与保呂川上流から下流域を舞台に展開される民話は、あばれ川(与保呂川)に対する畏敬と流域の人々の繁栄を願ったもので、その趣旨は地域の活性化を目指す「桜の天の川にする会」と相通じるものがある。
 民話の物語は、多門院の黒部(くろぶ)小町とうたわれた美しい娘が与保呂奥の池の畔で美青年と恋に落ちたことから始まる。2人は親の反対などで結ばれず、娘は池に身投げして大蛇に変身する。この大蛇が暴れて住民に危害を与えたため、住民たちは困り果て、モグサで作った牛形に火をつけ、大蛇に食べさせる。大蛇は熱さのためにのたうちまわり、大岩(蛇切岩)に激突して3つに切断される。大蛇の祟りを恐れた村人は、頭を与保呂の日尾池姫神社、胴体を行永の堂田神社、尻尾を森の大森神社に祀ったという。
 民話は昔からおじいさんやおばあさんから口伝えに語り継がれてきたものだが、文献では、1932年に刊行され、与保呂小学校第6代校長の池田義雄氏が編集した「郷土史(与保呂)」に初掲出され、以後は様々な媒体で紹介されている。
 今回、同法人は民話の中に登場する大森神社に幅190センチ高さ110センチの石碑を建立。表面には同会がシンボルマークとして使用している切り絵をパネルにしてはめ込んだ。原画を描いたのは与保呂出身で日本きりえ協会会員の由里利信氏。ふるさとに伝わる民話をモチーフにして作画したものだ。
 関係者ら約40人が出席した式典(写真)で西村代表は「古来より言い伝えられてきた貴重な伝説が、(記念碑の建立によって)後世に永久に伝わっていく完結したものになった」とあいさつ。感無量の思いを会員らと分かち合った。
 平安時代に起源があるといわれる民話。記念碑を通じて古に思いをはせてみてはいかがだろう。

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