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NO.82 “浮島”と「嶋満神社」(溝尻・浮島)  【舞鶴の名所旧跡】

NO.82 “浮島”と「嶋満神社」(溝尻・浮島)  【舞鶴の名所旧跡】

投稿日時:2022年02月14日(月)

溝尻の市民病院の北側に、小高く繁った小山がある。志楽川と祖母谷川の河口近くの海中に浮かんでいたので“浮島”。一名を「淵島」と呼び、古くから神が宿る島として崇められてきた。舞鶴東港の古名「枯木浦(かれきがうら)」の由来に、「昔、少彦名(すくなひこな)と大巳貫(おおなむち)の2人の神様が、この地で国を造り海に清らかな島が欲しいと笠松山に登り、彼彼(かれか)、来来(かれこ・おいでおいで)と呼ぶと4つの島が集まってきた」(丹後風土記)。その1つが淵島(現在の浮島)で、烏島、蛇島、戸島であると伝えられている。その証に、昭和10年版の新舞鶴市街地図を見ると、島は海からの入り江に囲まれて、まさに浮島。西側の浮島公園には海軍記念館や公会堂、聖徳太子像が建ち、羽衣松、浮島温泉も。病院の辺りは町営の運動場だったが、現存するのはこの浮島だけである。いざ山上へ。狛犬が構える入り口の鳥居をくぐって石段を上がり詰めると、昭和52年7月、浮島劇場創立50周年記念にO氏が寄進された赤い鳥居に。本殿には戦国時代、郡内でも「正二位」の社格の高い「嶋満(しまみつる)神社(淵島八幡)」が祀られている。神社は昭和14年、一帯が軍用地となり泉源寺へ移転したが、同36年、遷宮復帰して浮島八幡奉賛会ができたという。海中の“浮島”からビルに囲まれた「浮島」へ移りゆく地形の変化。自然との共生をも、ふと忘れていたのでは・・・。それにしても映画劇場が懐かしい。

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