NO.4 東舞鶴の街 【舞鶴の名所旧跡】
投稿日時:2022年02月10日(木)
東舞鶴の町は碁盤の目、南北を歩いていると各通りを示す「艦船」の看板が目につく。由来は、明治31年に樹立された市街地計画が明治35年11月に完成し、そこで浜地区を中心に、通りの名を付けることになった。その時、町は京都のような碁盤の目に区画造成されていたので、寺川から与保呂川 の南北の通りを、一条から九条と名づけた。また、舞鶴市は海軍の町としてふさわしく、戦艦・巡洋艦など艦種別、建造年代順に軍艦の名が用いられたという。つまり八重山・富士・八島・敷島・朝日・初瀬・三笠・・・である。そして、道路名の名付親は、当時の高等小学校の校長さんとか。看板には、当時の軍艦の勇姿と近隣の各国語で「ようこそ舞鶴へ!」。それほどにまで「艦船」の呼び名が鮮明に刻まれている「軍港の町」、東舞鶴の町並みである。
-
-
2022年10月07日
小浜線開業100周年
100人超えで大掃除・ 老若男女が汗流す
-
-
2022年09月30日
倉谷の大泉寺
お地蔵さま“水浴び”
年に一度のリフレッシュ
-
-
2022年09月09日
秋到来 黄金のひと時
南野陽子さんら舞鶴の里山を満喫
室牛地区の水田で
市民ら稲刈り作業で親睦深める