NO.98 由良川探訪二題(加佐地区)  【舞鶴の名所旧跡】

NO.98 由良川探訪二題(加佐地区)  【舞鶴の名所旧跡】

投稿日時:2015年10月9日

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加佐地区のまん中を流れる由良川。加佐とは神が着いた地、由良川のユラは寄り集まるの意。その水は流域住民の豊かな“恵みの川”である。が、時には“暴れ川”に一変することも。つまり、由良川の変遷は洪水の歴史である。梅雨の季節。早速、由良川探訪へ。
 その1、瀬戸島開さん記念碑(和江) 左岸を走る178号線は和江谷橋の先でカーブして、その一角に公園がある。川の傍らには、由良川改修の功を刻む2.7メートルもの記念碑が建っており、ここが「瀬戸島」の由来発祥の地点である。むかし、由良ケ岳の一部がここから由良川に突き出て岬となり、川が氾濫して大被害に。慶長4年(1559)、田辺藩主細川忠興は、岬の除去に挑戦したが硬くて目的達せず。そこで突き出た中央部を開削して川とした。その時残った先端部が「瀬戸島」である。その後300年間工事なし。大正2年、大森知事が島の除去工事に着工。この掘削残土で和田湾を埋め立て耕地を開発した。新田は技師の名を記念して高田耕地と呼ばれた。昭和の戦中、戦後は中断。昭和38年から水面下に残る再々掘削を経て、遂に瀬戸島は消えたのであった。水害との厳しい戦い! 碑文は、この史実を今も後世に伝えようと訴えている。
 その2、守護神の街路樹(志高)  一昨年、舞鶴市を直撃した台風23号。志高の国道175号線ではバスが水没。乗客ら37人が屋根で1夜を。この時、反対側の1本の街路樹にしがみついて夜を明かし、救助を待つ人の姿があった。しかも、木からバスまでは1本の“命綱”で結ばれていた。そして翌朝、全員無事救出!まさに、この1本の街路樹こそが“命の恩人”の木と言えるのでは、と。この史実が、絵本になるとの話題もチラホラ。怖いものは地震・雷・火事・親父ならぬ地震・台風・火事・津波が今日流か!