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一日一湯で次世代へ~吉原の日の出湯 有形文化財登録のプレート届く

一日一湯で次世代へ~吉原の日の出湯 有形文化財登録のプレート届く

投稿日時:2021年05月18日(火)

交付されたプレートを掲げる艶さんと高橋一郎さん
交付されたプレートを掲げる艶さんと高橋一郎さん(左)

 東吉原の公衆浴場「日の出湯」で10日、国登録有形文化財登録プレートの交付式があった。市内で20件目となる国登録有形文化財の誕生に、関係者らは改めて喜びに沸き立っている。

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 木造2階建ての日の出湯は、台帳に残された記録から1917年に建築されたとされている。2階は上質な床の間がある座敷となっており、戦前の町家風銭湯建築が往時のまま残っていることが評価されて登録に結びついた。
 現在は、元小学校教諭の高橋一郎さん(72)が、母の艶さん(97)とともに経営にあたっている。
 高橋さんによると、祖父の勝蔵さんが出稼ぎで蓄えた金銭を元手に、公衆浴場「吉田屋」の経営権を取得し、1920年から営み始めた。以来、父の肇さんを経て三代に渡って「古き良き風呂屋」を守り続けている。
 このことから、古くからの地区住民は日の出湯に行くことを、「吉田屋に行く」と今でも言うことがあるという。
 交付式のあったこの日も、長らくの常連客であるという宮本志げ子さん(95)が訪れ、一緒に登録を祝った。
 魚屋在住の宮本さんは毎日手押し車を押して通っているという。20分程度の道のりは良い運動にもなり、「ここのお風呂は本当に気持ちが良い」と笑顔で話した。

【創業大正 輝きは今も】

 日々の暮らしを支え続けた銭湯は、全国各地で急速に姿を消している。
 1960年代には約60%に過ぎなかった家風呂普及率が現在はほぼ100%となり、公衆浴場を取り巻く環境は大きく変わった。当地でも、以前は数多くあった銭湯も、日の出湯と若の湯の2軒を残すのみとなった。
 今回、この2軒ともが国登録有形文化財となることになったが、現役の銭湯建築が複数登録されているケースは全国を見ても他に例を見ない快挙だという。
 定年退職後、本格的に家業を手伝い始めた高橋さんは、風呂づくりに向き合う日々が10年を超えた。タイル磨きから風呂焚きまで、毎日の仕事は過酷な肉体労働を伴う。
 しかし、学生時代から体操競技で鍛え上げた肉体は、今でも鉄棒の大車輪をこなせるほどの強靭さを誇る。高橋さんは自らのライフワークとなっている体操になぞらえ、「今回の登録は、風呂屋の金メダルです」と笑顔を弾けさせた。
 「次の世代に何とかタスキをつなぐことが私の使命。大相撲の関取が一日一番と言うような心持ちで『一日一湯』の風呂に向き合い、あと10年は頑張っていきたい」と高橋さん。強い決意に触れ、金メダルのその先にある未来を期待せずにはいられない。

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