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高架下に新しい祠が完成、開眼法要 森踏切地蔵―鉄道の安全を見守り1世紀【舞鶴】

高架下に新しい祠が完成、開眼法要 森踏切地蔵―鉄道の安全を見守り1世紀【舞鶴】

投稿日時:2006年08月11日(金)

開眼法要が営まれた森踏切地蔵の新しい祠

 1904年(明治37年)に営業を開始した新舞鶴駅(現在のJR東舞鶴駅)に伴って、翌年に安置され鉄道の安全を見守ってきた森踏切地蔵が、駅周辺の区画整理事業で行き場を失っていたところ、元の場所から約120メートル離れた森の鉄道高架下に新しい祠(地蔵堂)が完成し、再び祀られた。子供たちの交通安全を願って参拝する人が絶えず、長年地域の厚い信仰を集めている。8月8日、西昭和町内会(田中幸男会長、43世帯)の人らが集まり、開眼法要が営まれた。  1901年に旧海軍の舞鶴鎮守府が開設され、軍港への資材の運搬のため鉄道建設が必要となり、04年10月に福知山と新舞鶴間の舞鶴線が完成、11月から開業した。それを受け新舞鶴駅周辺の村人らが、子供たちを鉄道の事故から守ってくれるようにと、翌05年8月に駅近くに地蔵を安置。「踏切地蔵」と呼ばれ、ここ100年の街の変わりようを見つめてきた。  それ以後、1度も事故は起きず御利益がある地蔵として、多くの人が交通安全などを祈願したり、近くの舞鶴共済病院の患者と家族らが願をかける姿もあった。駅周辺の区画整理事業が開始され、市東駅周辺整備事務所西側の木々のそばにあった祠も移動の対象となり、2年前に取り壊された。移転先が決まるまで浜の得月寺で地蔵を預かっていたが、寺まで参拝に来る人もいた。  ウイズビル近くの寺川が流れる高架下の空き地に建てられた祠は、全体の高さ2.7メートル、奥行き2.4メートル、幅1.1メートル。御影石製の台座の上に、総欅の建物を載せ銅板で屋根を葺いた。中に3体の石地蔵が置かれている。森と森町の住民でつくる西昭和町内会で積み立てた資金と市の補償金で建設した。  開眼法要では得月寺の柴田宗典住職が読経し、町内会の役員らが手を合わせた。田中会長は「地蔵をお寺に預けている間も探しておられる人も多かった。子々孫々まで受け継ぎ守っていきたい」と話している。8月20日に新しい祠の元で地蔵盆を開く。

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