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舞鶴山城研究会 人家近くに新山城発見 余部上地区に堀切の遺構残る【舞鶴】

舞鶴山城研究会 人家近くに新山城発見 余部上地区に堀切の遺構残る【舞鶴】

投稿日時:2015年06月23日(火)

 舞鶴山城研究会(廣瀬邦彦会長)はこのほど、中舞鶴地区でこれまで未確認だった山城を新たに見つけた。人家が近隣にあり堀切などの遺構がよく残っている。近くには余部上城が位置しており、本城に対する支城ではないかと見られている。研究会は地名から「余部後山城」と名付けた。舞鶴市内とその周辺には、戦国時代に地域の有力者たちが、防衛の拠点などとして造ったと思われる多くの山城が残っている。研究会のメンバーたちは定期的に山城の踏査を続けている。余部上城の調査を終え、南の方角に伸びる尾根を歩いていると、敵の侵入を阻止するため尾根を遮断するように造られた人工的な溝である堀切を見つけた。さらに登っていくと平坦地になり、その向こうにも堀切が存在し、これまで見つかっていなかった山城であることを確認した。眞宗寺や民家の裏山に位置している。新しい山城は余部上城から南へ230メートルの距離にあり、標高は90メートル。地面を掘り込んで造ったうね状の空堀が6本連なっていた。うね状空堀は戦国時代後期に見られるようになった。平坦地の広さは縦横10メートル四方。平坦地に土砂を盛り上げて堤状にした土塁は、堀切から4メートルの高さがある。周辺には余部上城のほかに余部下村城、余部愛宕山城などがある。廣瀬さんは「余部地区の山城は水軍の拠点として一体となって動いていたかもしれない。今回の新しい山城は人家の近くにあってびっくりした。支城であっても防御がしっかりとしている」と話していた。隣接する北吸地区には現在のところ、山城が見つかっていないが、今回の発見で未確認の山城が存在するかもしれないと期待が膨らんでいる。

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