最新の記事

  

舞鶴出身の福本さん、画家として再起 5月25~30日に初のふるさと展【舞鶴】

舞鶴出身の福本さん、画家として再起 5月25~30日に初のふるさと展【舞鶴】

投稿日時:2005年05月24日(火)

人工透析を受けながら絵を描き続ける福本さんと作品

 舞鶴出身の画家、福本良一さん(64)=高島市今津町=が、初めてのふるさと展「福本我們・水彩画展」を、5月25日から浜のギャラリー・サンムーンで開く。京都で長年、着物の人気テキスタルデザイナーとして活躍したが、脳血栓で倒れるなどして仕事を断念。麻痺した利き腕のリハビリを兼ねてスケッチを続け、画家として再起した。いまも人工透析を続けながらスケッチに出掛け、懐かしさを感じる風景画を描いている。福本さんは1956年に白糸中学校を卒業し、京都市内の織物デザイナーの内弟子となり、友禅の図案描きの仕事を経験。66年にデザイナーとして独立し、リチャード・クレイダーマンの着物を発表したり、東京での着物ショーの開催、自分のデザインを収録した画集が全国発売されるなど活躍した。そんな多忙の44歳の時、脳血栓で倒れて右半身麻痺に。右手に鉛筆を持ち、花をスケッチすることを始め、一年間続けて少しずつ動くようになり、2年後には絵が描けるまで回復した。一時仕事に復帰したが、その後に脳梗塞と腎臓を悪くし、繊維業界の不況も重なって、98年にデザイナーを廃業した。これまでの図案描きの経験を活かし、翌年から自己流の絵画を描き始めたが、各地で個展を開いたり絵画教室で指導するようになった。野外に出てスケッチをするが、現場で一番描きやすい水彩で、のどかな琵琶湖近辺の風景や、茅葺きの集落として有名なマキノ町の在原に3年間通って描いてきた。昨年9月に白糸中の同窓会で同級生からサンムーンを紹介され、ふるさと展の開催を勧められた。その後に舞鶴に通ってスケッチを重ね、子供のころに遊んだ風景はなくなっていたが、懐かしさを込めて作品に仕上げた。湖西の風景なども合わせ約30点を出品する。福本さんは「芸が身を助けてくれました。絵を見てもらいながら旧交を温めたい」と話していた。26、28、29日に会場に滞在する。展示は同30日まで。午前10時~午後7時。入場無料。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン。

この記事をシェア!
Management BY
舞鶴市民新聞
当サイトは舞鶴市民新聞社が運営しています
ページトップへ