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府難聴者協会元舞鶴支部長・濱元さんを 4月18日に舞鶴グランドホテルで偲ぶ会【舞鶴】

府難聴者協会元舞鶴支部長・濱元さんを 4月18日に舞鶴グランドホテルで偲ぶ会【舞鶴】

投稿日時:2010年04月16日(金)

交流会で笑顔を見せるありし日の濱元さん(右端)

 難聴者の人権回復に向けて、仲間づくりや耳の聞こえの相談拠点の開設、要約筆記の普及などに尽力した京都府難聴者協会舞鶴支部の元支部長、濱元俊吉(しゅんきち)さんが、昨年12月16日、59歳で亡くなった。関係する団体で実行委員会を作って4月18日、円満寺の舞鶴グランドホテルで偲ぶ会を開く。濱元さんの思い出を語りながら、遺志を継いで今後も福祉の前進に力を合わせていく。濱元さんは小学校5年で軽度の難聴と診断された。後年は重度にまで進み、補聴器を着けるがほぼ聞こえず、手話や筆談、口許を読み取ってコミュニケーションを取った。聞こえないことで社会からの孤立を感じていた20代、手話教室で出会った難聴者たちが同じ悩みを持っていることを知ったのを機に、自分の障害を受け入れることができ、仲間の交流をしようと1978年6月に舞鶴難聴者協会を設立、会長に押された。難聴者の社会参加を進めるため、会話などを書いて伝える要約筆記者の養成講座を80年に開催。翌年からは市主催で毎年開かれ、82年には修了者で舞鶴要約筆記サークル「みみかき」が結成されるなど、「難聴者と要約筆記者は車の両輪」と支援団体の育成にも努めた。聞こえの悩みや補聴器について相談できる拠点を行政に要望し、2001年に舞鶴市聴覚言語障害者支援センターが開所、3年後には言語聴覚士が配置され相談業務が強化された。難聴は見えない障害でその程度も人によって異なることから、市民や医療機関などへの啓発活動にも力を入れた。若い難聴者の会員を増やし、さらに聴言センターを活用し孤立しがちな人が当たり前に参加できる地域づくりの課題に意欲を持ち続けていたが、約1年半前に突発性間質性肺炎の難病にかかり、入退院を繰り返し志半ばで亡くなった。偲ぶ会は府下一円から約百人が出席する。各人が思い出を語ったり、写真で当時を振り返る。親交のあった人たちが座談会を開き、その活動を話し合って作成した追悼冊子も配布する。舞鶴市聴言センター・言語聴覚士の白杉拓哉さんは「要望を言う時は曲げない厳しさを持つ反面、周囲の人には気を使う優しい人柄で、会員の皆さんが濱元さんを慕ってついていかれていました」、30数年間親交を持つ要約筆記者の迫田邦子さんは「地方にいても府や全国的な運動の動きをつかみ、まず自分から行動してみんなを引っ張っていくリーダーシップを持っていた」と早すぎる死を悼んでいた。

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