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多禰寺に伝えられる「大般若経」 大浦歴史研究会が修復に取り組む【舞鶴】

多禰寺に伝えられる「大般若経」 大浦歴史研究会が修復に取り組む【舞鶴】

投稿日時:2005年12月20日(火)

はがれた大般若経の表紙を糊で張り直す研究会のメンバーたち

 大浦半島の多禰寺に伝えられる仏教最大の教典、大般若経の修復作業に、「大浦歴史研究会」(真下克己会長、会員27人)が取り組んでいる。地域の人たちの幸福を願って、村祈祷(きとう)の転読(てんどく)に使われてきた地元の大切な文化財を、後世に使える形で残そうと、会員らが剥がれた表紙などを糊で張りなおす作業をする。大般若経に込められた村人らの思いを振り返りたいとしている。大般若経は国家安寧(あんねい)などを祈り法会で読まれたり、村の安全や五穀豊穣などを願って、年の始めに各寺で経の最初と最後だけを読む転読をされてきた。いまでも大浦の平、田井、三浜などの寺院は正月の村祈祷で転読している。多禰寺は飛鳥時代(6世紀)の開基で、この地方に初めて仏教をもたらしたとされる。寺に残る605巻の大般若経は、同会会長の真下さんが8年がかりで調査し、97年と02年に前後編の報告書を刊行。多くは平安から鎌倉時代に書き写され、いくつかの巻は丹波地方の複数の寺院で書かれ、寺院間を移動して多祢寺にもたらされた。また、瀬崎などの村人から修復・寄進され、人々の信仰の厚さも知ることができた。舞鶴地方史研究会(小林清会長)が今月、この大般若経の確認作業をした際、大浦歴史研究会メンバーが傷みのひどさを見て、再度転読できる形に再生しようと話し合った。転読という激しい動作で使われるので何度も補修されてきたが、経に書かれた記録によれば、最後の修復は文政八年(1825)で、明治初期には村人らが新しい大般若経を多禰寺へ寄進し、古くて傷んだものは使われなくなったらしい。同会メンバーらが平野屋の表具師、藤野茂さんの指導や小林会長らの協力で、12月14日から北田辺の市郷土資料館に集まって作業を開始。はずれた表紙と裏表紙を、1巻ごとに経本体に筆で丁寧に糊付けした。605巻の内、傷みの激しい約半分を修復する予定だ。三浜の海蔵寺住職で同会の磯谷正弘さんは「村人たちの祈願の結晶である大般若経を、地元の私たちの手で修復し、いまの人たちにも伝えたい」と話していた。

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