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台風23号 市内各地の被災地を歩く 復旧へ市民ら力合わせる【舞鶴】

台風23号 市内各地の被災地を歩く 復旧へ市民ら力合わせる【舞鶴】

投稿日時:2004年10月29日(金)

ビニールハウスの再建に協力する新規就農者の若者たち=10月27日、西方寺で

 府北部に大きな被害をもたらした台風23号。市内各地の被災地で、日常生活や営業の再開に向けて作業が進んでいる。その一方でボランティアの手が足りず後片付けができなかったり、各地で道路が陥没したままなど台風の爪跡が生々しく残っている。10月26、同27日、数カ所を歩いてみた。志高の国道175号の観光バス水没がクローズアップされるが、JR西駅前の新世界、マナイ、平野屋の商店街、高野川両岸の竹屋町、京口、堀上などでは床上、床下浸水した店舗、住宅が多数あった。濡れた家財道具はあちこちの路上に山のように積まれた。それらの災害ゴミは次々とトラックで仮置場の西浄化センターや加佐運動場などに運び込まれているが、最終的な処分はまだこれからだ。京口に住む女性(70)に聞いた。家の前は川のようですごい勢いで水かさが増え、10月20日午後8時ごろには膝上まで来て自宅が床上浸水した。畳を全て捨てた。2日間はおにぎりだけ食べて、後片付けに必死だった。路上にいっぱいゴミが出て、市の回収車が収集するのに2日間かかった。床下には泥が溜まったままだ。ボランティアを依頼する電話をした。ひどい目にあったけれどいいこともあった。城下町として古くからある地域だが、最近は半分が新しく来た若い世帯となり、話もしたことがない人も増えた。同じ被害にあって声を掛け合い助け合うことができ、連帯感が生まれた。27日、マナイ商店街では多くの店舗が営業を再開していた。そんな中、1軒のメガネ店は再開の準備をしていた。検査機器や多くの商品は無事だったが、通信機器が水に濡れ復旧に取り組んでいた。店舗奥の部屋の畳や書類も濡れた。店主の塩見昭さんは「再開は11月に入ってから。ボチボチやります」という。円満寺の舞鶴商工振興会では相談窓口(電話75・0933、10月31日まで)を設け、被害にあった自営業者の相談に応じている。店舗の損傷などの相談が27日までに15件あった。国道175号から入った岡田中の西方寺を見た。岡田川のコンクリート護岸の堤防が大きくえぐれているのに驚いた。川沿いの歩道と府道も陥没し、河原への通行が途絶えて、復旧が急がれていた。本紙で「農的暮らし事始め」を連載する定方克之さんの自宅と畑が近くにある。電話で自宅は無事だと聞いていたが、畑は泥をかぶり流木もあった。ビニールハウスは無事だが、畑はネギ以外は泥に覆われている。妻のかおるさんと子供たちと話す。畑の排水をする溝にも泥がたまり、ボランティアを頼んだが、日程が会わずまだ作業が出来ていない。そこから近くの畑には、イチゴ栽培をする布施直樹さんと京子さんのビニールハウスが建つ。強風で一棟のハウスが壊れた。加佐地区の20代から30代の新規就農者の約10人でつくる「若い衆でやろうかい」(霜尾喜三代表)の仲間8人が、ハウスの再建を手伝っていた。メンバーの3人もハウスが全壊、西方寺平の霜尾共造さんは田んぼが土砂で埋まったりする被害もあった。同地区の添田潤さんは10月20日夜、大川のJA加佐支店に軽トラックで行き帰れなくなり、支店の2階に避難し助かったが、軽トラックは水没した。イチゴの出荷は例年12月中旬というが、なんとか1月に間に合わせたいと布施さんは話す。添田さんは「若い衆はがんばっていると宣伝しといてよ」と声を出した。仲間たちで順番に壊れた施設を直していく。まいづる災害ボランティアセンターは、ボランティアが不足しており、参加者を募っている。電話は76・0712。被災地域からのボランティア派遣要請は電話76・0722。

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