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五輪メダリストの大江・久内選手 2人の資料ふるさとに【舞鶴のニュース】

五輪メダリストの大江・久内選手 2人の資料ふるさとに【舞鶴のニュース】

投稿日時:2003年05月06日(火)

小林教育長に資料写真を説明する久内徹さん(右)

 ベルリンオリンピック棒高跳びのメダリストで舞鶴出身の大江季雄選手(1914~41年)と、極東オリンピック円盤投げ銀メダリストで同郷の久内武選手(1909~97年)に関する資料が、武さんの長男の徹さん(69)=埼玉県上尾市=らによって、市教委と武さんの母校の与保呂小学校に寄贈された。久内さんが大江さんに陸上競技の指導をしたことで、その後も親交を持っていた。同校は「展示をして子供たちに郷土の人物として紹介したい」としている。
 大江さんは旧制舞鶴中学(西舞鶴高校)、慶応大学へと進学。1936年のベルリンオリンピックで、西田修平選手と2位と3位のメダルを分け合い、「友情のメダル」として知られている。常出身の久内さんは東京高等師範学校(筑波大学)に進み、1930年の極東オリンピックで2位、戦争の影響で開催されなかった1940年の東京オリンピックにも代表選手になっていた。戦後は順天堂大学体育学部の創設に関わり、同学部長や関東学生陸上連盟会長も務めた。
 1928年、師範学校の学生だった久内さんが舞鶴中学で円盤投げの練習をしている時、中学生の大江さんが陸上の指導をしてほしいと申し出て、円盤投げを教えた。その練習で筋力がつき、後年の棒高跳びの記録が伸びた。大江さんがお礼にスイカを届けると、久内さんは自宅裏から切った竹でポールを作ってプレゼント。また、大江さんは大学進学の相談をしたり、戦地への出征の際には東京にいた久内さんが自宅から送りだすなど、親交を結んでいた。
 2人に関する資料の多くは戦災で焼けたがその後に徹さんが収集、先人を知る手掛かりにしてとふるさとに贈ることにした。徹さんと長女の高取都さん(67)=東京都新宿区=らが5月1日、市教委の小林舜治教育長に、大江さんの映像記録や久内さんの陸上部時代の写真、幻の東京オリンピックの選手の制服などを贈った。
 徹さんと都さんは「父と大江さんは同じふるさとという点で強く結びついていました。晩年の父は与保呂の村の話をよくして、帰りたいと最後まで言っていました」と話していた。

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