漁師町の誇り 後世へ~吉原の日の出湯が有形文化財に

漁師町の誇り 後世へ~吉原の日の出湯が有形文化財に

投稿日時:2020年8月7日

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手入れの行き届いた浴室で笑顔を見せる高橋さん
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浴室天井付近の内部の様子

 国の文化審議会はこのほど、東吉原の公衆浴場「日の出湯」を、国登録有形文化財として登録するよう文部科学相に答申した。正式登録は数か月後の予定だが、公衆浴場の文化財登録は平野屋の「若ノ湯」に続いて市内で2件目となり、これは全国でも例を見ない快挙となる。



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 答申された日の出湯の建物は、台帳に残された記録から1917(大正6)年の建築とされている。2階は上質な床の間がある座敷となっており、戦前の町家風銭湯建築が往時のまま残っていることが評価された。
 現在は、元小学校教師の高橋一郎さん(71)が、母の艶さん(96)とともに経営に当たっている。
 高橋さんによると、祖父の勝蔵さんが出稼ぎで蓄えた金銭を元手に、公衆浴場「吉田屋」の経営権を取得し、1920(大正9)年から営み始めた。以来、父の肇さんを経て3代に渡って「古き良き風呂屋」を守り続けている。今でも古くからの地区住民は、日の出湯に行くことを「吉田屋に行く」と言うそうだ。元々は地元町内会が管理に当たっていた風呂であった吉田屋。漁師町の憩いの場として愛され続けた歴史が、その呼称にも表れている。
 以前は市内に28軒あったという公衆浴場は今、同じく西地区にある「若の湯」と合わせて、わずか2軒となった。手入れに労力を惜しまない浴室の状態は良く、先ごろ建築専門家に明り取り開口部付近の内部を点検してもらったところ、「虫食いはもちろん、湿気で傷んでいることもなく極めて良好な状態」と診断されたという。 高橋さんは、「上塗りをし続けているペンキが漆のように木材を保護しているのではないか」とし、「改めて先人たちの確かな足跡を感じ、敬意を覚える。(登録の喜びは)地区のご先祖さまたちと分かち合いたい」と笑顔を見せた。



【親から子へ 繋いだタスキを次世代へ】



 3人きょうだいの長男として生を受けた高橋さんは、幼いころから「風呂屋の跡継ぎ」を意識しながら育った。小学校低学年の頃から、父の運転するミゼットに乗り込み、燃料になるおが屑の運搬を手伝った。漁師町の男たちは気性が荒く、ふろ場から聞こえてくるにぎやかな声は、いつも喧嘩しているように聞こえたという。年に一度、1月2日には午前2時から風呂を焚き始め、初詣前に体を清める客を出迎えたりすることなど、様々な事柄を父から仕込まれた。
 しかし高校生になると転機が訪れる。知人の勧めで始めた体操競技にのめり込み、後に進んだ大阪教育大でも競技を続けた。
 そんな中、父が急死する。20歳の時のことだった。親戚筋からは「一郎が帰ってあとを継ぐしかない」といった声もあったが、母からは大学を卒業するように求められた。
 以来、卒業後に舞鶴で教職に就いた高橋さんも手伝いながら、母の艶さんは女手ひとつで風呂屋を守り続けた。
 当時を振り返り高橋さんは、「今になって思えば、ボイラーの交換など、亡くなる前に父が先手を打って投資をし、仕組みを変えたことが風呂屋の存続に繋がった。晩年の父が手を加えたことで、母一人でも運営が出来る風呂屋になっていた」と述懐した。そうしてタスキが繋がれた「町民憩いの風呂」は、数十年の時を経て文化財になった。
 高橋さんは、「次につなげるまでしっかりと務めを果たすのが私の使命。あと10年は頑張りたい」と笑顔を見せた。日の出湯の今後を、期待しながら見守りたい。