歴史の浪漫に思いを馳せて

歴史の浪漫に思いを馳せて

投稿日時:2018年1月30日

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勾玉を持つ発見者の佐谷さん
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発見された白い勾玉(44×24×15mm、30g)

 鹿原在住の佐谷明さん(72)と、千葉文雄さん((67)が13日、鹿原神社の境内で勾(まが)玉を発見した。禰宜(宮司の補佐)である二人が境内にある長床(現在は倉庫)周辺を掃除中に落ち葉に混じっているのを見つけたという。佐谷さんは「浪漫がありとても興味深い。神社とともに守っていきたい」と話している。



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 見つかった勾玉は白色で、長さ44 ㎜、頭部幅24㎜、頭部厚さ15㎜、重さ30グラム。頭部には孔が貫通しており内径5㎜、面取り加工が施されている。片面は黒ずんだ箇所があり、頭部と尾部の一部が欠けており、ひびも多く見られる。
 市文化振興課によると、勾玉は市内の古墳で出土しているという。また、ヒスイの勾玉は20㎜ほどのものが千歳の祭祀上で出土しているという。
 今回見つかった勾玉について「材質はヒスイだと思うが、地層や遺跡からでなく単独で出てきたものなので、時代を特定することができない。現時点では様々な可能性が考えられ、いつの時代のものか、どこにあったものかは断定できない」としている。
 一方、発見者2人の知人でヒスイ勾玉愛好家の富室孝さん(67)=鹿原=は▽ライトに照らすと緑色に透けて見えること▽重さ(ヒスイは比重が重い)▽光り方▽ひびの多さなどにヒスイの特徴があると述べ「90%ヒスイだと思う」と話し、表面のくすみなどから長い期間、土中にあったとものだと推測した。
 加えて、胎児の形であることや、孔が同じ径で貫通しているのは縄文後期以降に見られること、また古墳時代後期からはヒスイの枯渇などから勾玉文化が衰退することなどから、富室さんは作られた年代を「弥生時代」または「古墳時代前期」のいずれかだと推測している。
 続いて、発見の経緯についても自説を展開する。
 元小学校の校長である故・森本信男氏が平成10年に編集した『鹿原神社の棟札にみる神仏習合と鹿原の起源』によると、昭和39年に国道27号線拡幅工事に伴い、本殿や鳥居、長床を移動したと記してある。
 富室さんは「勾玉はその時に掘り返され、地表に出て来た可能性が考えられる」と話し、勾玉が別の場所からでなく元々鹿原神社にあったのではと話した。
 また、同書には鹿原神社が670年頃にはあったと記してある。
 「鹿原地区には8基の古墳があるがそれは古墳時代後期のもの。鹿原神社は670年頃にはあったとされるが、それ以前より祭祀が行われた場所ではないかと思う。青葉山を崇拝の対象として勾玉を祭り、子孫繁栄、再生復活、五穀豊穣を祈っていたのではないか」と自説を述べた。
 偶然発見された『鹿原神社・ヒスイの勾玉』。そこからは、かつて鹿原の地で暮らした人々のありようが生き生きと伝わってくる。
 勾玉に興味のある方は
 [お問い合わせ]TEL:090-5363-775 0富室さん。
(井上 務)