伝統の大会「かもめ駅伝」 惜しまれて終着点

伝統の大会「かもめ駅伝」 惜しまれて終着点

投稿日時:2017年10月3日

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昭和61年に開催された第2回大会の様子=提供=
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大会運営に尽力してきた橋立代表

 かもめ駅伝実行委は今年度の「かもめ駅伝」開催を中止し、昨年度開催の第32回大会をもって大会の継続を断念したと発表した。市内の陸上競技愛好者の間に、落胆がひろがっている。 

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同大会は、海上自衛隊の陸上競技同好者らが発足した舞鶴地方隊陸上競技部(別名かもめそうゆう)が、余暇活動の一環として計画したのがはじまり。
 昭和60年に「第1回舞鶴地方隊対抗かもめ争奪駅伝競走大会」を開催。当初は自衛隊内の陸上愛好者らが各部隊ごとにチームを編成し競う大会だった。(かもめは海自を連想させる「かもめの水兵さん」という意味)。
 海自教育隊内にある周回コースを走り全6区、1区間は一律2キロで競う。優勝杯はかもめ走友会(現かもめそうゆう)の隊員が任期満了記念にと3基寄贈され、その後継続された。
 第3回大会からは市内の陸上競技者からの要望もあり、一般市民チームを受け入れた。
 「駅伝の醍醐味を市民みんなで楽しむ」を目的に、市役所や市内企業の陸上チーム、高専、中学校の陸上部、ジョギング愛好家、老若男女に至るまでチーム編成や年齢に関係なく、大きく門戸を開いた。最盛期には60チーム約360人が参加。幼児が参加することもあれば、80歳代の女性が参加したこともあった。多くの観客が見守る中、それぞれの思いと共にタスキがつながれていった。
 参加費は無料(29回大会まで)。大会にかかる費用は実行委員らが自ら負担し、捻出した。ゼッケンや必要書類などは全て手作り、文字通り市民で作り上げてきた駅伝だった。
 実行委員代表の橋立英雄さん(73)は、同駅伝大会の発起人であり、第1回から運営に尽力してきた。
 「続けたいという思いはあったが、引き際だと思った」と話し大会の終了に肩を落とす。
 高齢になり運営の継続には体力的、精神的に限界を感じた。同時に、伝統ある大会を始めた者として大きな責任を感じ、半端な形で続くならと断腸の思いで決断した。
 「今まで支えて頂いた多くの方に感謝したい。大会を通して少しでも陸上の普及につながったと思う。なかなか大きな大会に足を運べない市民に、タスキの受け渡しという醍醐味を感じてもらい、陸上の楽しさを伝えることが出来た。やってきて本当に良かった」と思いを述べた。
 32年に渡りタスキをつないできた「かもめ駅伝」。伝統ある大会は幕を閉じるが、つないできた多くの絆は決して途切れることはない。