コロナ禍で縮小も決意新たに~浮島丸事件から75年

コロナ禍で縮小も決意新たに~浮島丸事件から75年

投稿日時:2020年8月28日

 下佐波賀の殉難の碑公園で24日、戦後まもなく起こった「浮島丸事件」の犠牲者を悼む集会が行われた。
 今年は75周年の節目となったが、コロナ禍により主催する「浮島丸殉難者を追悼する会」の事務局員や関係者ら10数人での開催となった。



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 浮島丸事件は、敗戦後間もない1945年8月24日、舞鶴湾で起こった。
 事件の二日前、旧海軍の輸送船である浮島丸は青森県大湊を出港。船内には、青森県下北半島で鉄道敷設工事などに従事させられていた朝鮮人労働者とその家族3735人が乗り込み、釜山を目指していた。 
 ところが同船はGHQによる船舶運航禁止を受けて、24日舞鶴港に寄港。船はその直後、突然爆発し沈没した。乗客524人、乗員25人がなくなる大惨事となった。
 爆発の原因は、舞鶴湾内の機雷に触れてしまったとの説や自爆説もあるが、未だ明らかにはなっていない。
 1978年。爆発現場の海に近い場所に市民らが殉難の碑を建立。それ以来続けられてきた集会には毎年300人ほどの参加者が集まったが、今年は大幅に規模を縮小しての開催となった。
 同会の余江勝彦会長は、「75年が経過した今も、事件の調査はされていない。東京都中目黒の祐天寺には、いまだに故郷に帰れない遺骨が280体安置されており、浮島丸事件はまだ終わっていないと考えている」と述べ、「今現在も世界各地で物事を暴力で解決しようとする動きが続いている。私たちは二度と悲しい歴史を繰り返さないために、正しい歴史の事実を広く伝えていくことが犠牲者たちとの約束だと考える」と力を込めた。
 市内在住の永井小夜子さん(76)さんは、「舞鶴で起こったことなのに、どこか他人事のような市民が多いと感じる。石碑が建つこの場所の綺麗な景色に忘れてしまいがちな史実だが、紛れもなく舞鶴で起こったこととして伝え続けることが市民としての使命だと思う」と話していた。
 歴史を飲み込む忘却の波は、年を追うごとに大きくなる。しかし、舞鶴の海に散った数多くの命の無念を、私たち市民は忘れてはならない。そんな決意の声を参加者らが口にする75年目の夏の日だった。