浮島丸事件 下北からの報告 ⑤続・語り伝える下北の市民たち  反発の声、熱い想いで道開く 「歴史に時効なし」 中・高校生 授業・文化祭で学ぶ 市民 辛い体験いま語り始める【舞鶴】

浮島丸事件 下北からの報告 ⑤続・語り伝える下北の市民たち 反発の声、熱い想いで道開く 「歴史に時効なし」 中・高校生 授業・文化祭で学ぶ 市民 辛い体験いま語り始める【舞鶴】

投稿日時:2011年9月30日

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写真左=2010年の浮島丸出港追悼集会で献花する参加者たち(浮島丸下北の会提供)
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写真中=今後の活動を託された浮島丸下北の会の新代表の村上さん
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写真右=青森に到着した舞鶴の一行を大間のフェリー乗り場で出迎える下北の会のメンバーたち(8月27日)

様々な取り組みが次々と行われ、下北での浮島丸の運動は一気に広がるかに見えたが、そうはならなかった。この点の事情について、舞鶴の「浮島丸殉難者を追悼する会」の前事務局長、須永安郎さん(86)は以前、下北の会前代表の斎藤作治さん(81)に端的に指摘したことがある。「舞鶴は朝鮮人を助けた方だが、下北はいじめた側だから」と言うのだ。  朝鮮人労働者たちに過酷な労働をさせた民間の建設会社の関係者たちは、戦後もこの地で暮らしているだけでなく、強制労働をする朝鮮人に対して生まれた民族差別といった風潮が消えずに残っていた。そんな感情を敏感に感じ取る在日二、三世の韓国・朝鮮人たちは、自分の生い立ちを明らかにせず暮らしている。  戦前の旧海軍大湊警備府と戦後の海上自衛隊大湊地方隊、そして周辺市町村に配置された陸・海・空の自衛隊と米軍基地。最近出版された『ルポ下北核半島』(岩波書店)の中で、青森の地元紙「東奥日報」の論説委員、斉藤光政氏は「日米4軍が揃うのは青森と沖縄だけで、青森県の軍用基地面積は沖縄に次いで2番目」と指摘する。「北の要塞」の状況はいまも変わらず、その存在は地域社会に大きな影響を与えている。  そんな中で運動を進める下北の会は、有形無形の声を聞くようになる。「朝鮮人だけが苦労し、ひもじい思いをしたのではない。日本人も同じだ」「お前たちは朝鮮の味方をするのか」。こうした抗議を匿名の電話やはがきで受けた。はっきりとした反発でなくとも、市民の中にはあまりにもつらい体験であるため、進んで語りたくないという心情も横たわるようだ。  「先生は好きだけれど、浮島丸をやっている先生は嫌いだ」と、斎藤さんは教え子から言われた経験を持ち、厳しい環境を改めて認識させられる。しかし、環境を言い訳にするよりも、事件に距離を置く住民にどう理解を求め、運動の裾野を広げていくかを考え続けた。  大切にしたのは、使役した側の関係者の過去を暴くことや、無理に証言を引き出すのではなく、強制労働の実態を正確につかみ、日本とアジアの関係、明治以来の歴史、人権問題の視点で学びあうことだった。2000年以降、活動に強弱はあっても追悼集会を中心にしつつ、調査・学習・講演を地道に続ける。  下北の会顧問の鳴海健太郎さん(80)は地域の歴史の研究家でも知られる。「運動には波があるが、資料を収集し記録さえ作っておけば、語り伝えるための基礎として活用できる」と、いまも事件の資料や証言の発掘に励む。「歴史に時効はありません。日本の戦争や強制連行、浮島丸事件とは何だったのか。2度と戦争をしないためにも事件を忘れてはなりません」。市民に語り続けている。  舞鶴と下北の運動で大きく違う点がある。子供たちへ伝える活動だ。舞鶴では学校の様々な場で浮島丸事件を子供たちに話す機会がほとんどない。それに対し、下北は20年以上前から県立大畑高校などの文化祭で生徒たちが展示発表し、大間鉄道のフィールドワークや追悼集会にも生徒たちが参加していた。  市内外の中・高校が平和・地域学習で事件を取り上げ、講師に招かれた斎藤さんが授業や講演で「事件を伝えることがこの地域に生きるものの使命」といつも熱っぽく語りかける。最近では青森市内で曹洞宗住職たちの学習会、弘前市の憲法集会で講演し、県内全域に事件への関心が浸透している手ごたえを感じる。そこから住職たちが下北の会に新たな力として加わった。  下北の会の新しい代表を、元高校教諭の村上準一さん(64)=むつ市=が今年から務める。20年前、証言集作成時の編集委員の1人として、間近で斎藤さんや鳴海さんの姿を見てきた。「差別や偏見に負けずに先輩たちはがんばってきた。バトンを託された私たちも後に続けるよう力をつけたい」  そして静かにこう話す。最近になって新たな強制労働の証言が寄せられる現実に、「戦後66年経ったいまだからこそ、語れるようになった。少しずつ市民の意識も変わってきているのを感じます」。  厳しい環境下の運動だがそこに悲壮感はまったくない。少人数だが、個性的で、それぞれ得意の分野で自分の力を発揮している下北の人たちの、浮島丸事件に込める熱い想い。舞鶴の一行14人の心に大きく、力強く響くものがあった。その残響はいまも消えていない。