「プロジェクトFUKUSHIMA!」遠藤ミチロウさんインタビュー 原発事故の福島の声発信 8月15日に野外フェス 「福島 孤立させない」【舞鶴】

「プロジェクトFUKUSHIMA!」遠藤ミチロウさんインタビュー 原発事故の福島の声発信 8月15日に野外フェス 「福島 孤立させない」【舞鶴】

投稿日時:2011年11月25日

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写真=ライブのため来鶴した遠藤さん。静かにプロジェクトについて語った

東京電力福島第1原発事故に苦しむ福島。福島市内を会場に今夏8月15日、野外フェスティバルが開かれ、音楽や詩などを通じていまのフクシマの声が世界に発信された。このプロジェクトFUKUSHIMA!を仲間たちと提案したのが、1980年代、過激なパフォーマンスで伝説となったパンクバンド「ザ・スターリン」を率いた福島県二本松市出身の遠藤ミチロウさん。60歳を超えたいまもソロで、全国をライブで回っている。11月6日、ライブのため舞鶴を訪れた遠藤さんにプロジェクトについて聞いた。

 ―なぜ、フェスの開催を
 いまの福島は事故によって生活を脅かされた人、避難したくても出来ない人、強制的に避難させられた人、生活がバラバラになり家族も分断された。そんな中で原発の仕事をしている人もいる。また、風評被害や福島差別も受けるようになり心を痛めている人もおり、絶望的な状況で福島自体が気持ちも沈み、とてもやるせなく思った。でも、そうした複雑な気持ちをマスコミは汲み取ってくれない。それなら自分たちでその想いを発信するイベントをやることにした。

 ―8月15日に行った意味は
 戦争や原爆についていろいろ考えることがあって、95年から毎年広島で爆心地ライブや8月15日もイベントを行ってきた。今回の原発事故もそれとリンクしている。戦後、日本は復興し高度成長していったがその象徴が原発だった。しかし事故で破綻しいろいろな矛盾が噴出してきた。もう1つは震災の犠牲者を追悼するという意味で8月15日にこだわった。

 ―事故前後で故郷への想いは違いますか
 田舎がいやで福島を飛び出した人間だったが、この事故で福島が差別を受け憤りを感じるようになり、自分の歴史の原点として故郷にもう一度向き合うようになった。でもそれはとても複雑な想い。舞鶴は震災前にライブとドキュメンタリー映画の撮影のため一度訪れ、また来たいと思った。城下町の二本松市と同じように昔からの雰囲気を残し、自然環境もいい。自分の気持ちにピタッとはまった。

 ―二本松市の状況は
 福島第1原発から50キロ離れていますが、いまでも部分的に3マイクロシーベルトという高い放射線を計測している場所もある。浪江町が丸ごと二本松市に移転し避難集落ができている。小学校では屋外で授業もできない。それに対し行政や研究機関は食品の放射線検査や汚染地図づくりに取り組んでいます。

 ―フェスに込めたメッセージは
 自分たちで動いてことを起こしていかないと何も変わらないと感じた。絶望的な状況の福島は希望が見えない。だからこそそこに希望が見えるようにすることが、未来に対する希望の糸口になるんじゃないかと思う。多くの問題に蓋をして忘れ去られていくのを福島の人たちは一番恐れている。フェスで人々の交流も生まれ、福島の人たちは孤立していないことが伝わった。今後も福島の現実を訴えていくためフェスを継続していきたい。

(聞き手・青木信明)