郷土の歴史 未来へ

投稿日時:2019年3月19日

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吉野学芸員とともに湊十二社を見学する参加者たち
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吉野学芸員の話を聞く参加者たち

 北前船と関わりの深い神崎の歴史を伝えようと、SKY舞鶴クラブ(吉武恭子会長)が5日、講演イベント「丹後神崎と由良川舟運業の歴史文化の新しい発見」を神崎児童センター・まいまいハウスで開催した。講師に丹後郷土資料館学芸員の吉野健一さんを招き、江戸末期から明治にかけて発展した北前船と神崎のつながりについて理解を深めていた。



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 舞鶴の魅力を発信する活動を続ける同クラブが企画。地元住民など84人が参加した。
 冒頭では、神崎音頭保存会のメンバー15人が、神崎盆踊りを披露。「音頭を取る人」と「踊り子」の掛け合いによる特徴ある踊りを見せた。
 続いて吉野さんが「神崎の水運と海運」と題し講演した。北前船は、江戸時代に北海道と大阪を日本海で繋いだ。道路や鉄道が整備される以前の一大物流網として発展。海と川が繋がる由良川河口の神崎・由良は航路の要所であった。
 吉野さんは「北前船は島根から新潟まで3日ほどの速さで着き、当時としては最高の運搬手段だった。地域による価格差を利用し別の寄港地で売却することで莫大な利益を上げた」と説明し、「責任者である船頭は航海術だけでなく、世情が見え、交渉術に長けたエリートだった」と話した。
 また、丹後では船頭や水主(船員)は、ほぼ由良や神崎の人々だったとし、「由良川で培われた川舟の技術が、やがて北前船を操舵し、遠洋へ出て行ったのではないか」と神崎が多くの船頭を輩出した背景について話した。
 後半は、北前船を模した船が御神体である湊十二社を見学。吉野さんは神社の周囲を巡らされた玉垣に着目し、多くの玉垣に三国=福井県=の文字が彫ってあるとし「福井の人がお金を寄付して奉納した事が分かる。神崎と三国、そして若狭周辺との繋がりの深さが考えられる」と話した。
 神崎に住む女性は「これまで神崎に住んでいたが、地元の歴史を全然知らなかったと改めて感じた。今日、話が聞けて良かった」と話した。
 吉武会長は「予想以上の人に来てもらい、多くの方に関心を持って頂けたと思う。由良川が見えるこの神崎で地元の方にこそ学んでもらいたいと思っていたので、大変意義のあるイベントができた。また学習会をしたいという要望があったので、今後も続けていきたい」と話した。
(井上 務)