往時のふるさと 鮮やかに甦る~河辺中の山田さん

投稿日時:2020年2月7日

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遺品のカメラを手にする山田さん
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 河辺中に住む山田仁士さん(60)が、父の遺品の白黒写真をカラーに復元し、公開している。昭和20年代後半~30年代にかけて市内の風景を活写した写真は、カラーになったことで往時のふるさとを瑞々しく映し出している。



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 1960年、山田さんは河辺中で生を受けた。二人兄弟の長男。父は日本板硝子に勤めていた。 
 大学進学で舞鶴を離れ、卒業後は大手家電メーカーの関連会社で日本全国を飛び回った。営業からデータ処理業務と多忙を極めた仕事。やりがいはあったが、2011年東日本大震災の年に早期退職を決意した。
 その後、紆余曲折を経て帰鶴することになった。2015年夏のことだった。
 当時、実家には父が一人で暮らしており、独身の山田さんとの二人暮らしが始まった。1927年生まれの父は晩年、盆栽や尺八を趣味にしていたという。しかし、その暮らしには明るさがなかった。
 「父は母が亡くなったことを自分のせいだと考えていたのかもしれません」と山田さんは述懐する。
 母が交通事故で亡くなったのは、13年前。ある日、自分の役目だった不燃ごみのゴミ出しを父がしなかったことで、代わりにゴミを出した母が事故に遭った。高齢ドライバーによる人身事故は不運としか言いようがなかった。
 四国八十八カ所巡りや魚釣りなど、夫婦で出かけることが多かった二人。母の死後、父はふさぎ込むことが多くなった。
 そんな父も、山田さんが帰鶴した一年半後、90歳の生涯に幕を閉じた。
 「最後、共に過ごすことが出来て良かった」と振り返る山田さんは、父の死後に遺品整理をしていると、大量の写真を発見する。
 大切に保管されていた写真は膨大な量で、山田さんは驚きを隠せなかったという。父にこれほど入れ込んだ趣味があったとは、聞いたこともなかった。



【父の見た舞鶴が甦る カラーで息づく往時の風景】



 父の残した写真は、白黒のものばかりだった。写っている場面から察すると、昭和20年代後半から30年代に写されたものだ。躍動感のある写真を見ているうちに、往時に想いを巡らせるようになった。
 「色を付ければどんな感じになるだろう」山田さんは、そんな好奇心からカラー化の作業に取り組み始めた。
 白黒写真をカラーにするためには、AI技術が活用されている。ディープラーニング技術により、大量の白黒・カラー画像の組から色付けの手掛かりとなる特徴を学習し、与えられた白黒画像をカラー画像に変換するというものだ。
 「カラーにすると、途端に写真に現実感が生まれる。山に登っている写真など見ると、自分の知らない父の姿が垣間見え、心が震える」と山田さんは話し、「生きている間にひと言写真を褒めたりしたかった」と呟いた。
 「父は、瞬間をとらえるのが上手いと感じる。一人でも多くの方に見てもらえればありがたい」と山田さんは、いずれは写真展なども開くことが出来ればと意欲を見せた。
 本紙では今後、不定期で山田さん提供の写真を掲載する。



【AI技術で色づく「あの日の舞鶴」】



 昭和30年代初頭、国内メーカーによるカメラの拡販のため、各地でモデル撮影会が頻繁に開催されていたという。
 この写真(左)でモデルの女性が手を置いている石碑は現在も残っている。この場所は、北吸にある標高95.9mの四面山。頂上には明治42年建立の海軍忠魂碑があり、以前は東地区の街並みが一望できる景勝地だった。
 写真(右)は同じ場所から撮影した現在の風景。