郷土の誇り 後世へ~知られざる”地域おこし”の先駆者

投稿日時:2019年5月24日

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佐藤さんらが書き写した古絵図など
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故・佐藤正夫さん

 「まいづる細川幽斎田辺城まつり」が25日から始まる。舞鶴の歴史・文化にスポットをあてたイベントとして平成4年から始まり長年市民に親しまれている。
“郷土の歴史を活用した地域おこし”という概念が薄かった時代、地道に歴史を調べ上げ、「地元の人間こそが郷土に誇りを」と東奔西走した人物がいた。佐藤正夫さん(1924~2002)。市議会議員を5期務めながら、舞鶴の歴史文化の普及に尽力した。



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 佐藤さんは大正13年に三日市で生を受け、ほどなく紺屋町に移り住んだ。4人兄妹の長男で、父は建築大工だったが、正夫さんが7歳の時に他界。母が働き出て、正夫さんも新聞配達で一家を支えた。午前2時に起床し配達へ行き、終わると学校に行くという生活を続けた。
 昭和13年に舞鶴海軍工廠造船設計部に。戦後は飯野造船~日立造船の労働組合専従役員として労働者たちの意見調整に尽力。45年、舞鶴市議会議員に初当選。以来5期20年を務めた。
 「夫は市議になったことがきっかけで、郷土史に興味を持つようになった」と妻のてる子さん(92)は語る。
 舞鶴市史編さん委員の指導や、古文書講座などを受け知識を広げ、田辺城下町を中心とした郷土の歴史をひもとく活動をライフワークにした。
 てる子さんは「もともと、熱中するタイプで、ずっと書斎に閉じこもり勉強や執筆をしていた。亡くなる2カ月前まで勉強していた」と当時を振り返る。
 息子の經明[のりあき]さん(65)は「父親が早くに亡くなり、貧しいなか長男として家族のために苦労し、大人になってからは組合役員として労働者のために、市議として市民のために働いた。市民への思いは強く、郷土への思いに繋がったと思う」と話した。
 昭和52年、53歳の時に、小冊子「ふるさとの足跡」を自費出版。田辺城の記録を中心に、舞鶴の町が形づくられていく様子をまとめた。2年後に第二弾を出版。58年に、歴代の紺屋町自治会長が継承保存していた古絵図をもとに、紺屋町地区の歴史を綴った「紺屋町絵図物語」を出版した。また、田辺藩士で、日本最初の物理教科書「物理階梯」を編集した片山淳吉や、帝国海軍中将・伊藤雋吉[しゅんきち]など舞鶴の知られざる偉人たちを研究し、スポットを当てた。
 郷土資料館の吉岡博之館長は「郷土史に強い情熱を持って勉強する異色の市議だった。当時、そんな市議はいなかった」と生前の様子を振り返り、「自分で調べた郷土史を個人が出版するというのもなかった。歴史上の人物を掘り起こし市民に周知するやり方は、今の地域おこしに繋がる考えだと思う」とその功績を評価する。
 市議退任後は、市の歴史講座や老人会など様々な場所で講話をし、郷土史の普及に取り組んだ。



 【古絵図「丹後国田辺之図」】



 佐藤さんの書斎には、研究に使用していた歴史書や古絵図がある。「丹後国田辺之図」(杉本隆司所蔵)は、1727年の古絵図で、昭和58年に佐藤さんらが一部を書き写した。原寸大に書き写して巻物に表装。講話などで使用したという。
 てる子さんは「活用できる人の手に渡り、歴史の勉強会などで皆さんのお役に立ててもらえればうれしい。それが夫の思いです」と思いを述べた。
(井上 務)