東日本大震災 陸前高田市 陶芸家の高井さん、支援で訪れる 住民たち 1年区切りに前へ 自前でがれき処理阻まれ【舞鶴】

東日本大震災 陸前高田市 陶芸家の高井さん、支援で訪れる 住民たち 1年区切りに前へ 自前でがれき処理阻まれ【舞鶴】

投稿日時:2012年3月30日

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東日本大震災によって岩手県内で最大の被害を受けた陸前高田市。高台が少ない町の中心地は巨大津波で壊滅した。この地の被災者を支援する成生の陶芸家、高 井晴美さん(47)が昨年11月と3月20日~23日、同市を訪れた。震災から1年。町や人々はどんな様子なのか。 (青木信明)  同県最南部に位置する陸前高田市は人口約2万4千人。大震災で死者1555人、行方不明者240人を数え、建物も約7割が全壊などし、交通機関もJRが 流され、車でしか町に入ることができない。  11月、高井さんは食糧を持参した。飲食店などが被害を受け、仮設店舗もまだ再開していないためだ。平地にある町はコンクリート製の建物が少し残る以外 は全て流された。「町は何もなく、夜は真っ暗で死んだ町だと感じた。住民の気持ちも沈み、私も重たいものを持ち帰って1カ月は笑うことができなかった」  そして3月。中華料理など仮設店舗が並び、多数の重機ががれきを片付け、セメント工場が建設され、復興に向け稼動している。ボランティアの受け入れや高 井さんを案内した製材所の村上富夫さんら住民も、自宅再建の意欲が湧いていたという。  一方、まだ足りない仮設住宅の建設がいまも続き、入居できない住民は小屋のような建物での暮らしを強いられている。がれき量は岩手県で最多の約101ト ン。同市は雇用創出も兼ねがれき処理専用プラントを造ろうとしたが、国や県の前例主義に阻まれた。  津波で多くの犠牲者を出した以前の市街地に、住民は「まだ行きたくない、見たくない」という気持ちが強く、工事車両だけが行き交っていた。一日中、町の 中を走り回ったがボランティアを見ることはなかった。  まだまだ深い傷は残るが、人々の気持ちの変化を感じ取った。「妻と娘を亡くしたケーキ店の男性は、2人を助けられなかったことを悔やみ謝り続けていた が、1年を区切りに再びケーキづくりを決意していました。1年を節目にやるしかないという住民が増えていた」  そう語る高井さんもこの1年間、支援に走り続けてきた。今回も作品の収益金や市民が手作りしたキャラクター人形などを携え、交流する下矢作(しもやは ぎ)保育園に30万円、陸前高田の震災遺児38人の支援のため、市民たちから寄せられた義援金19万円を届けた。  漁村に住み津波を人ごとに思えず、海をテーマにした作品づくりをしている自分を責める気持ちを抱えていた。「でも今回訪れ気持ちが軽くなり、私も一区切 りをつけることができた。自分の作品づくりをしっかりしつつ、震災遺児の支援をしていければ」  「ラーメンを食べに行こう」と思うぐらい、近い存在になった陸前高田。今度は一緒に連れて行ってと甥っ子が声をかけてくれた。

写真左=町の中はがれき処理する重機が多数動く
写真右=観光バスを使った仮設店舗(写真は高井さん提供)