東北・被災地ルポ 3.11を前に ―第2回― 宮城県 南三陸町②  中心市街地 壊滅的な打撃 住宅、漁船、鉄道 ほぼ流失 水産施設 一部再建される【舞鶴】

東北・被災地ルポ 3.11を前に ―第2回― 宮城県 南三陸町② 中心市街地 壊滅的な打撃 住宅、漁船、鉄道 ほぼ流失 水産施設 一部再建される【舞鶴】

投稿日時:2012年2月17日

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低地に市街地が集中していた南三陸町は、最大20メートルを超える津波によって中心部が壊滅し、中でも志津川地区は住宅の約八割が流された。人口約1万7千人の内、津波による死者は565人、行方不明者を含めると犠牲者は約1000人を数える。また、世帯数は5362だが、全壊が3161戸と家屋の被害が大きい。  畠山さんの車に同乗して、さきほどまで見下ろしていた沿岸部の志津川地区に入った。かつての国道はかろうじて道路だったことがわかり、その両側には建物の基礎部分だけが残っている町並みが続く。高台には助かった住宅、その下段には被災しスクラップとなった車やがれきの山が築かれ、重機が作業をしていた。  中でもひときわ目を引くのが、むき出しの鉄骨だけとなった防災対策庁舎だ。ここから防災無線で最後まで町民に避難を呼びかけ続けた町職員、遠藤未希さん(当時24歳)を含む職員39人が津波の犠牲となった。  その内の1人で遠藤さんとは高校の同級生だった三浦亜梨沙さん(同)は津波に流され行方不明となっていたが、1月17日に町のがれき置き場で、通行人が遺体の一部を見つけ、DNA鑑定で三浦さんと確認された。三浦さんの家族は10カ月以上も亜梨沙さんを捜し続けていたと報道が伝える。警察庁のまとめでは2月15日現在で、震災による行方不明者は3281人。  庁舎のプレートが残る正面には、犠牲者を弔う塔婆や多くの花が供えられている。津波のすさまじいまでの威力と、一瞬にして多くの命がのみ込まれたことの事実を突きつけられた。一行は胸のつまる思いで言葉もなく静かに手を合わせた。  幹線道路はいたるところで寸断し、JR気仙沼線のレールは流され、気仙沼駅と柳津駅間は運休が続く。「志津川病院の4階まで水がきた」と畠山さんの説明する方角に目をやると、病院建物の一階屋根にまだ船が載っていた。  海岸付近は地震のため約70センチ地盤沈下したため、満潮時には海水で浸水し、車の通行に支障がでているという。あちこちのくぼに溜まった水が、晴天の昼間だというのに凍ったままだ。  南三陸町はホヤやワカメなどの養殖が盛んな水産業の町で、宮城県北部の中核漁港と位置づけられる。志津川湾の漁港周辺を回ると、大型漁船が10隻以上は係留されていたのでびっくりした。畠山さんによると、津波が到達する前に沖に避難して助かった船らしい。一方で小型漁船や資材、加工場はほぼ流失し、港に漁具などとともにがれきとなって横たわっていた。  そんな大きな打撃を受けたが、昨年10月24日には全壊した地方卸売市場に替わる仮設の魚市場が、総事業費約1億8900万円をかけ完成した。再スタートを切ったばかりで、水揚げ高は震災前の40%しか回復していない。  今回参加した陶芸家の高井晴美さん(47)は、漁村の成生で生まれ育っただけに津波の被災に心を痛めてきた。南三陸町のがれきやごみがたくさん残っている様子に驚く一方、「漁船や仮設の漁協事務所などを見て、これからがんばろうという漁師たちの気持ちが伝わってきた」と漁業者の意地に心強さも感じた。 (つづく)

写真左=鉄骨だけとなって残った防災対策庁舎(1月30日、南三陸町)
写真中=津波を逃れた高台の住宅。その下では被災車両と家ががれきとなっていた(1月30日、南三陸町)
写真右=再建された仮設の魚市場(1月30日、南三陸町)