東北・被災地ルポ 3.11を前に ―第1回― 宮城県 南三陸町① 町襲った津波 爪跡いまも がれきの処理進まず 被害の光景眼前に広がる【舞鶴】

東北・被災地ルポ 3.11を前に ―第1回― 宮城県 南三陸町① 町襲った津波 爪跡いまも がれきの処理進まず 被害の光景眼前に広がる【舞鶴】

投稿日時:2012年2月14日

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東日本大震災で大きな被害を受けた東北の地。震災から11カ月を過ぎたいま、被災地はどうなっているのか、そこに暮らす人たちはどんな思いを持っているのか。現地事務所を置いて支援活動をするNPO法人・難民を助ける会(東京都品川区)の案内で、1月30日~2月1日、宮城県南三陸町と岩手県釜石市を訪れた舞鶴市民たちに同行した。被災者と支援に取り組む人たちの声を報告する。 (青木信明)
 南三陸町の中心地に通じる国道398号の峠道を抜けると、沿岸部に向けなだらかに傾斜する平野が開けるとともに風景が一変した。がれきの山、スクラップになった車の一群が目に飛び込んでくる。右手に見える合同庁舎の建物にはひと気がない。ガラスが全て割れ落ちた窓からは、身を切るような冷たい風にカーテンが揺れていた。近くには小さなプレハブでコンビニが営業している。  同助ける会が支援するのぞみ福祉作業所の所長、畠山(はたけやま)光浩さん(55)が待ち合わせ場所に来てくれた。津波で被災した志津川地区の旧作業所跡へと向かった。  右にデイサービスセンター、左に特別養護老人ホームとつながる複合施設で、2010年開所と新しい。建物自体は無事なようだが、中に入ると天井から約10メートルの高さまで水が来た痕跡が壁にくっきりとついていた。部屋には書類などがまだ乱雑に残ったままで、畠山さんは来るたびに気づいた日誌などを持ち帰っているという。  室内に書類、屋外にはガラスや事務機器、ベッドなどが多数置かれていた。ボランティアたちが大まかに分類して後片付けをしたそうだ。積み上がったがれきの山だけでなく、いまでは粗大ごみとなった施設の備品類などもまだ二次処理が進んでいない。  作業所は海岸から約1・5キロの距離で少し高台に位置する。津波の高さは当初、6メートルの予報だったためだれもが大丈夫だろうと考えた。実際は作業所より内陸に入った地点で波は16・4メートルの高さにまで達した。作業所で2人、特養で40人近くの利用者が犠牲となった。  津波が押し寄せてきた時の様子を畠山さんは語ってくれた。濁流に家が流されていく様子を目の当たりした。その波が施設を襲ってくる。がれきの間にはさまって流されずに救助された人、網戸と網戸の間にひっかかったリュックサックにつかまって助かった人。「なぜ助かったのかわかりません。津波が来るまでに44、5分はあった。もっと早く避難していれば」と悔やむ。  施設の前には景色を遮る並木があったが、波に倒されまばらにしか残っていない。その間から町を見渡すことができた。住宅や事務所が流され更地になり、残ったコンクリート製のビルは窓ガラスもなく廃墟になっていた。  その光景には戦争を知らない私にも、空襲を受け焼け野原になった戦後の町を想像させるのに十分な津波の爪跡がいまも残っている。全てをのみ込んだ津波がやってきた海が、人々の暮らした町の向こうに見えた。 (つづく)

写真左=津波で壊滅状態となった志津川地区の町が高台から見渡せた(1月30日、南三陸町)
写真右=案内された福祉施設前に処理されずに置かれたままのごみ(1月30日、南三陸町)