1945年7月30日の舞鶴空襲、米軍機がとらえていた 戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会の刊行本に写真掲載  【舞鶴】

1945年7月30日の舞鶴空襲、米軍機がとらえていた 戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会の刊行本に写真掲載  【舞鶴】

投稿日時:2010年7月27日

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戦争遺跡に平和を学ぶ京都の会(福林徹代表)が7月24日、『語り継ぐ京都の戦争と平和』(A5判、358ページ、つむぎ出版)を刊行した。明治以後の戦争で重要な拠点となった舞鶴軍港の各施設などを紹介しているが、中でも1945年7月30日の舞鶴海軍工廠を標的とした舞鶴空襲を米軍機が空撮した貴重な写真が掲載されている。モノクロ写真には、爆撃によって水柱が上がる様子が記録されている。新たな資料を発掘した調査の成果を盛り込んだ。  舞鶴空襲は7月29日に米軍が1万ポンド(4.5トン)の超大型爆弾を海軍工廠に投下し多数の犠牲者が出た。続く30日には紀伊半島沖に接近した米海軍第三十八機動部隊の空母レキシントンなどから出撃した戦闘機、爆撃機など約二百機が、舞鶴軍港を中心に宮津湾、小浜湾などを攻撃し、舞鶴湾内に停泊していた海防艦「沖縄」などを沈めた。  掲載された舞鶴空襲の写真は、空母クーペンスの艦載機から撮影したもので、海軍工廠付近の海面に爆弾が投下され、大きな水柱があがる瞬間がとらえられ、東市街地と湾内に浮かぶ船も写る。もう1枚には手前に病院船「氷川丸」らしい船も見られる。写真下部に白い文字で日時を表す「7・30 10(時)30」のほか、「MAIZURU HARBOR」、機密を意味する「CONFIDENTIAL」と記される。  この写真は、国会図書館(東京都)所蔵の米軍資料の中のマイクロフィルムで見ることはできるが、取り出す方法がないため、京都府内の空襲の調査を続ける福林さんが2007年、元の資料が保存されている米国の国立公文書館を訪れ、スキャンニングして入手した。  同書は91年に発行した『京都の「戦争遺跡」をめぐる』が絶版となったのを受け、戦後65年を機に新たに判明した調査結果なども盛り込んで作った。府内の軍事施設、反戦運動、大江山ニッケル鉱山での朝鮮人や中国人らの強制労働、引き揚げなどを記録している。同会は「一般の歴史書では知ることのできない京都の近現代史の一側面を知り、現代の戦争と平和の問題に向き合う上での一助になれば」としている。  1冊2000円(税込み)。初版は2000部。7月24日から京都市内の書店で販売している。注文は近くの書店かつむぎ出版(電話075・252・1788)へ。

写真=爆弾が投下され、舞鶴海軍工廠付近であがる水柱を撮影した写真。下部には日付の「7・30」が見える(米国立公文書館所蔵、福林徹さん提供)