鹿原の金剛院奥に新たな山城2カ所発見 地元の富室さんが見つけ舞鶴山城研究会が調査【舞鶴】

鹿原の金剛院奥に新たな山城2カ所発見 地元の富室さんが見つけ舞鶴山城研究会が調査【舞鶴】

投稿日時:2010年3月12日

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 鹿原地区の金剛院奥に、府の遺跡地図に記載されていない新たな山城が、2カ所同時に発見された。地元の男性が見つけ、舞鶴山城研究会(廣瀬邦彦会長)がともに調査し、このほど確認された。山城の山頂からは高浜町の高浜城(城山公園)を見通すことができ、戦国時代の若狭高浜の勢力とのつながりもうかがわせる。中世の舞鶴と隣接する国との関係を知る手掛かりになりそう。  地域の生き物の観察や収穫体験など、農地と環境を守る活動をする地元グループの富室孝さん(60)=舞鶴市鹿原=が昨年12月、金剛院から北東にある山を歩いていて、U字のような溝を見つけた。研究会が出版した山城の本を読んでいたことから、山城の堀切(敵の侵入を防ぐため尾根を遮断するように掘られた溝)ではないかと考え、撮影した写真を研究会に持参し調査の案内をした。  鹿原には金剛院の手前の山に鹿原城がある。今回見つかった1つ目の城は鹿原城から東へ約500メートル離れている。さらに2つ目は1カ所目から北へ500メートルの距離に位置する。2つの城の計測や詳細な図の作成のため研究会が調査、地元住民4人も参加した。  1つ目の城は深さ4、5メートルの堀切の遺構がはっきりと残り、その堀切を見下ろすことができる平坦な曲輪(くるわ)もあった。鹿原城に比べ規模は相当大きい。2つ目の城は東の方向に海に突き出る高浜城を見ることができる。規模が小さく見張り台の役目を果していたのではという。  研究会顧問で京都府の中世城郭の調査委員を務める高橋成計さん(57)=高槻市=は「高浜城と国境の吉坂の峠が見える位置にあるのが面白い。高浜城と何らかの連絡を取り合っていたかもしれない」と話す。二カ所を詳しく調べた結果、曲輪の削り方が同じことから同一勢力のものと推測。一方、鹿原城と2カ所は堀切など造成方法が異なり、別の人物が支配した可能性を指摘した。  富室さんは「いままで知られていなかった山城が、2つも地元に見つかってうれしい。地域の子供たちに知ってもらうため見学会ができれば」と話していた。

写真=U字形の溝の遺構が残る山城の堀切