銃後の戦争体験、後世に 市民グループが一言集発刊 元軍国少年少女100人から手記 空襲、動員、家族の戦死 リアルな気持ち掘り起こす【舞鶴】

銃後の戦争体験、後世に 市民グループが一言集発刊 元軍国少年少女100人から手記 空襲、動員、家族の戦死 リアルな気持ち掘り起こす【舞鶴】

投稿日時:2015年5月29日

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舞鶴空襲の聞き取りなどをしてきた市民グループ「戦争・空襲メッセージ編さん委員会」が、家族の戦死や学童疎開、動員作業など市民生活の中の戦争体験を集めた「私の『戦争時代』100名の一言集」(A4版、121ページを発刊した。戦後70年を機に戦争体験を語り継ぐため、かつての軍国少年少女の100人から手記を募った。
 1945年7月29日に舞鶴海軍工廠へ投下された米軍の模擬原爆の爆弾による舞鶴空襲の体験を記録するため、委員会は聞き取りや座談会、手記などをまとめた本を2012年に刊行した。昨年7月には軍需工場で働かされた元動員学徒と委員たちが、爆撃地近くの共楽公園に、犠牲者を追悼する慰霊碑を建立し集会を開いた。
 そうした活動をする中、子供ながらに戦争が日常だった銃後の体験を子や孫に伝えたいとの思いが委員会に寄せられ、事務局長の関本長三郎さん(71)=大波上=が中心となり、一言集づくりを始めた。手記を寄せた市民は国民学校の生徒や看護婦、勤労学徒らで、現在の平均年齢は84・5歳になる。
 山本五十六元帥の戦死の報道を受け、15歳だった女子学生は自分の至らなさを振り返り、「元帥の英霊に心からお詫びを申さねばならぬ。(中略)元帥の英霊に謹んで誓ふ。我等は食べる物は食べずとも敵米英は必ず撃滅致します」と当時書き残した。  15歳の男子学生は終戦の日のラジオ放送を聞き、当時の日記に「我等の予期したこととは完全に裏切られた」「必ず勝つと信じて玉砕しられた人達を犬死させてもよいものか」、さらに「敵の軍門に降る前に潔く枕を並べて討ち死にするのみ。これが我国古来の武士道精神だ」と記し、高揚感に包まれた時代の空気がありありと伝わってくる。
 関本さんは「弾薬や船も作れない日本の状況が分かっているのに、一瞬にして神風が吹き日本が必ず戦争に勝つと多くの日本人が信じていたことからも、戦時教育が徹底されていたことがうかがえます。戦争を支える市民のリアルな気持ちを掘り起こすことができました」と話している。
 500部作成した。1冊1,188円。市内の書店で販売している。
【問い合わせ】電話62・5736、委員会

写真=寄せられた手記(手前)を元に作成された一言集の本

6月5日、中総合会館で
学童疎開の体験語ろう

 学童疎開の体験を語る集い(同実行委員会主催)が、6月5日午後2時から余部下の中総合会館で開かれる。参加を呼びかけている。
 敵からの攻撃の被害を減らすため、親から離れて子供たちを地方に移動させる学童疎開は、1945年に全国12都市で実施された。舞鶴では同年4月から市内8つの国民学校の3年生以上の1331人が丹後の寺や旅館などに疎開した。子供たちは空腹や親に会えない寂しさの日々を過ごした。
 集いでは各国民学校出身の8人が「開墾と農作業」「空腹とのたたかい」などをテーマに話す。資料代300円。
【問い合わせ】電話62・5736、委員会