職人の味 ふたたび  脳出血からの生還  リハビリ乗り越え厨房に

職人の味 ふたたび 脳出血からの生還  リハビリ乗り越え厨房に

投稿日時:2017年3月7日

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元「おり鶴」店主の服部さん
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左手で次々と巻き寿司を巻いていく

 「おり鶴」
 西舞鶴の引土で地域住民に親しまれていた懐石料理店。店主である服部昭彦(あきひこ)さん(49)は平成25年7月に「脳出血」で意識不明に、気が付いたときには病院のベッドの上にいた。当時医者から「今後は車椅子の生活になる」と告げられた。それから4年、かつての味は身障センター「ぽーれぽーれ」で再び味わうことが出来る。
 「おり鶴」は平成8年にオープンした。16歳から12年間、京都市にある割烹料理屋で修行したのちに、結婚と同時に生まれ故郷である舞鶴で店を構えた。念願の1人立ちだった。
 もともと真面目で誠実な性格。ひたむきな努力で店は少しずつ賑わい、2人の子どもにも恵まれた。忙しくも順風満帆な日々を過ごしていた。
 営業時間を延ばそうとランチタイムを始めた頃だった。時々ふらふらする自分に気づいたという。
 「仕事のし過ぎかなと思っていました」と当時を振り返る。
 それは昼の予約準備をしていたときだった。
 急に声が出なくなり右の手と足が動かなくなった。生活空間である2階へ這って必死に助けを呼んだというが、記憶は無いという。
 東舞鶴の医療センターへ搬送され、緊急手術となった。再び意識が戻った時はベッドの上。今後車椅子の生活になると告げられた。
 服部さんは「なったものは仕方が無い。受け入れようと思いました」と当時の心境を語る。
 【辛いリハビリを乗り越えたのは子どもへの思い】
 同センターで3か月間入院した後、大阪の「千里リハビリテーション病院」を紹介され、5か月間リハビリをした。
 「リハビリは動かない右半身を無理に動かします。その度に耐えられない激痛が走り、想像を超える辛さでした」と当時を語る。
 (将来子どもに迷惑をかけられない)
 少しでも動けるようになり、何かしたい。その一心で苦しいリハビリを続けた。
 全く喋れなかった口は少しずつ開き、右半身を引きずりながらもなんとか一人での歩行が可能になった。
 その後、市の赤十字病院へ移り通院する中で身障センターの存在を知った。
 月1回の陶芸教室に通う中で就労支援として働きたいと思うようになり、平成26年にぽーれぽーれの喫茶スペースで働くことに。パンと珈琲のみだったメニューに職人の寿司が並んだ。
 「美味しい!」味わった人は思わず笑みをこぼす。
 前日から仕込みをし、味付けや酢飯の合わせ方、蒸らし方など料理の手順はかつての「おり鶴」のままだ。服部さんは左手で器用に巻き寿司を巻いていく。
 「左手でまくのはコツがいりますが慣れました」と笑顔で服部さんは語る。
 場所は変わったが「おり鶴」の味は確かに復活した。
 最後に服部さんは、紙面を通して伝えたいことがあると語った。
 「倒れてから今まで本当に色々な人にお世話になりました。その方々に感謝したい。そして妻には金銭面をはじめ全てにお世話になりました。妻の支えがあって今があります。また、子どもがいたから辛いリハビリに耐えることが出来ました。ありがとう」と気持ちを打ち明けた。
 耐えがたいリハビリ生活を乗り越え、そして今再び「おり鶴」の味が復活した。   
感謝の気持ちを込め、今日も巻き寿司を握る。
 服部さんのお寿司は火・水・木曜に提供。土曜はきつねうどんも提供。