終戦の決意と反省 あらためて 舞鶴空襲の犠牲者慰霊祭

終戦の決意と反省 あらためて 舞鶴空襲の犠牲者慰霊祭

投稿日時:2016年8月2日

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  慰霊の言葉を述べる蒲田さん
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    祈りを捧げる参列者

 7月29日、余部上の共楽公園で、舞鶴空襲の犠牲者を追悼する慰霊式が、旧海軍工廠殉職者慰霊碑の前で行われ、約20人が参列した。
 1945年7月29日朝に、米軍機により爆弾1発が投下。翌30日、早朝から多数の米軍機による空襲が舞鶴を襲い、舞鶴海軍工廠で働いていた工員や学徒動員の生徒らが亡くなった。
 29日に落とされた爆弾は広島・長崎への原爆へ繋がる模擬爆弾であった。(全国へ49発投下されたうちの1つで、舞鶴での被害は最も大きかった)
 ジャパンマリンユナイテッド労働組合舞鶴OB会会長の蒲田忠夫さん(79)は慰霊の言葉として「この鎮魂碑には空襲殉職者84名、学徒動員関係者20名、工廠殉職者134名など450名のかたがたが祀られています。
 (空襲では)千切れた手足がゴザで覆われていたり、男女の区別すらもつかない遺体も多くあり、目をそむけさす惨状でした。大戦と終戦の決意・反省こそ“再び戦争はしない、平和を守る”という大義を改めて再確認する事が大切であります」と述べた。
 続いて雲門寺住職の堀尾大直師による読経の中、参列者が一人一人焼香をあげ、慰霊碑に追悼の意を表した。
兵士でなく、子どもを含む普通の一般市民が巻き込まれたこの事実を、決して風化させてはならない。
日本全体で見ると、1944年6月から始まった本土への本格的な空襲は、次第に勢いを増し、限定的な軍需工場から普通の家々への徹底的な無差別爆撃へと変化し、全国各地へ広がっていった。
結果、終戦までのわずか1年2ヵ月の間で50万人以上もの尊い命が犠牲になった。
 共楽公園では同日、舞鶴空襲学徒犠牲者慰霊祭も行われた。