真倉の歴史日記でたどる 迫田さんが残した33年分 嵯峨根さん10年以上かけ編集 農業、行事、真倉駅など記録【舞鶴】

真倉の歴史日記でたどる 迫田さんが残した33年分 嵯峨根さん10年以上かけ編集 農業、行事、真倉駅など記録【舞鶴】

投稿日時:2013年11月5日

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1921(大正10)年から53(昭和28)年の33年間、日記を書き続け、92(平成4)年に89歳で亡くなった真倉の迫田繁蔵さんの残した日記18冊を、抜粋して編集した地域誌が完成した。真倉の郷土史家、嵯峨根一正さん(72)が10年以上をかけてまとめた。いまは絶えた行事、養蚕や紙漉きの仕事、住民たちが労働を負担した真倉駅など、地域の歴史を知る貴重な記録になっている。
 迫田さんは1904年に生まれ、家業の農業などに従事し、中筋村役場で中筋村耕地整理の専従事務、舞鶴海軍工廠で記録工として勤務した。戦争には行かなかったが、戦地に出征した村人全員に手紙を書き送った。戦後は中筋農協などで働いた。青年団活動も熱心に取り組み、会報づくりを担当。活字に親しみ、新聞記事の切り抜き帳もつくった。
 真倉の郷土史づくりをした嵯峨根さんは、生前の迫田さんから昔の村の生活などを聞き、村を離れず真倉のために尽くした人柄に接した。亡くなって数年後、地域の貴重な記録が残っていないか遺族を訪ねたところ、33年間毎日つけた日記18冊が見つかり借りた。村の歴史の史料として残そうと、遺族の了解を得て関心のむくままに抜粋しまとめた。
 地域誌「サコダ シゲゾウと郷土」はA4版、289ページ。青年団の団員たちと夕食を終え氏神に参拝し、籠堂に集まり雑談にふけったこと(1922・大正11年7月1日)、24(大正13)年6月20日は父母らと田に出掛けた時のことを記す。「あたりの緑の若葉がなまぬるい風にゆれる。青葉の影に身をかくしてさえずる小鳥の声がたのしそ~だ。こうした周囲の楽園にはたらくものの幸福よ!」
 27(昭和2)年1月10日は、「この私に歩むべき道は必ずある。『われこの村のために生まれたり』」と、自らの使命と郷土を愛する想いを綴った。31(同6)年4月26日は、念願だった青年団の会館落成の喜びを述べる。
 真倉駅着工までの住民たちの決断を、「昨夜ノ集会ハツイニ夜明ケマデ続行、六時頃ニナリ、ヨウヤク区民全力ヲツクシテ乗降駅舎完成ヘ邁進スルコトニ一決シタ」(49・同24年2月2日)と記し、その後も労働や資材などを住民が負担した様子を伝える。
 嵯峨根さんは「初めて日記を読んだ時、村の動きがもれなく書かれ、釘づけになった。迫田さんは温顔愛語で人に接し、地域のために尽くす信念で生涯を過ごされたことを、日記から強く感じました」と話している。
 5部作成し、東・西図書館、市郷土資料館に寄贈した。

写真=完成した地域誌を手にする嵯峨根さんと迫田さんの日記