瀬野勇さん、生まれ育った和田村描き初公開 9月20日まで展示、昭和7年・20年の俯瞰絵図【舞鶴】

瀬野勇さん、生まれ育った和田村描き初公開 9月20日まで展示、昭和7年・20年の俯瞰絵図【舞鶴】

投稿日時:2010年9月14日

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和田の瀬野勇さん(84)が、生まれ育った和田村の1932(昭和7)年と45(同20)年当時の様子を詳細に記録した俯瞰絵図を、円満寺のメガネの和諧堂(マナイ商店街内)で展示している。山と海の恵みを得たのどかな暮らしから一転して、海軍によって農地が強制買収され、女子挺身隊宿舎など海軍関連施設が立ち並んだ集落の変貌ぶりが一目でわかる。戦争が村の生活を翻弄した歴史を絵で残そうと21年前に完成させ、今回初めて公開することができた。  国鉄勤務後、海軍の滋賀航空隊で訓練を受けている時、肺結核を患い、和田村に戻って療養しながら父の農作業を手伝っていた。和田村は41(同16)年12月、海軍の施設拡張のため約3分の2の農地、2分の1の山林を強制買収によって奪われた。  現在の和田中学校の場所に海軍工廠見習い工員宿舎、海岸近くに海軍軍需部倉庫などが次々に建設された。村からは海外へ出兵した16人の内8人が亡くなった。兄の石男さんも25歳で沖縄戦で戦死したが場所は長らく分からず、5年前現地を訪ねて特定できた。  戦後、施設は取り壊されて農地に戻った。一部コンクリートの土台が残るだけで戦時中の面影がすっかり消えたため、当時の村の姿を絵で伝えようと造船所を退職後に創作を開始した。  建物を何度も下書きし直し、古老に見てもらって確認する作業を経て彩色して、数年がかりで45年の村の絵(縦62センチメートル、横186センチメートル)を89年に完成させた。朝鮮人飯場や弾薬庫、各家の名前なども記す。その後は30年と32年の村の田畑や民家などを描いた絵(縦34センチメートル、横136センチメートル)を仕上げた。  32年の絵には当時の暮らしを書き添える。戸数32戸、タケノコの市が開かれ、海は吉原の漁師たちのイワシの地引き網の好漁場であり、浜辺に打ち寄せられたエビや雑魚を村人たちが食材や肥料に使った。子供のころに見た民家一軒一軒の向き、屋根の形まで覚えているずば抜けた記憶力で、絵の中に再現した。  娘婿の清さん(61)=白浜台=に誘われ、2人展で出品する機会ができた。舞鶴空襲があった45年7月29日、上空に黒い煙が昇るのを畑から目撃した様子を描いた水墨画も並ぶ。  瀬野さんは「戦争は私たちの生活を奪ってしまう。知っていることを描きとめようと思ったがまだまだ足りない。1人でも多くの人に見ていただき、地域を愛する気持ちを持っていただければ」と話す。入場無料。20日まで。
【問い合わせ】電話75・1208、同店
写真1=軍による強制買収前の村の絵図と瀬野さん
写真2=女子挺身隊宿舎などが並んだ1945年の村の絵図