故瀬野さんの歌日誌、引揚記念館で特別展 シベリア抑留中に白樺樹皮に短歌書きつづる【舞鶴】

故瀬野さんの歌日誌、引揚記念館で特別展 シベリア抑留中に白樺樹皮に短歌書きつづる【舞鶴】

投稿日時:2007年2月6日

0702061

0702062

 舞鶴出身で旧ソ連からの引き揚げ者の故瀬野修さんが、シベリア抑留中に白樺の樹皮に自作の短歌などを書きつづった歌日誌を展示した特別展が、平の引揚記念館で始まった。36枚の樹皮の裏表に丹念に刻まれた文字からは、故郷に残した妻と子供への想いや、過酷な収容所生活の中でも月や花に慰められたことなど、当時の瀬野さんの心象や抑留生活を読み取ることができ、貴重な記録になっている。  瀬野さんは1908(明治41)年生まれ。舞鶴中学校の教師だったが、エトロフ島で終戦を迎え、ハバロフスク付近の収容所を転々と移る抑留生活を送り、47年8月に舞鶴港に引き揚げてきた。その後は市内の造船所の養成所で所長を務めるなどし、95年、87歳で亡くなった。  歌日誌は抑留直後の45年10月から引き揚げ直前までつづられた。出征前からアララギ派の流れをくむ結社で短歌に親しんでいた。縦10センチ、横11センチほどの白樺の樹皮を紙に、ブリキの缶をペンに、煤を集めてインク代わりにした。裏表に約300もの短歌と俳句がしっかりとした文字で書かれている。  「いとけなき子等を守りつつ吾妹子のいかに生くらむ気強かりしが」「はヽそばの母に従ひ尚子やよ知子かばひてすこやけくこそ」。遠く離れた妻と2人の娘を想う心情がつづられる。「幽囚の身こそ悲しき遺言もあらずて異郷に逝く人多し」と、栄養失調で入院した病院で多くの仲間が死んでいくのを目にした。  一方、シベリアの短い夏に咲く野の草花や、夜警で見た月の美しさに心を動かされ、過酷な日々を和ませていた。「野に採りし赤き黄色き小百合花罐に挿してぞ部屋を飾るも」「カシチョール勤務にあれば驟雨止みて山ゆ上りし満月明るし」。歌を詠むことを生きる支えとした姿も伝わる。  引き揚げる際、旧ソ連軍に見つかれば没収だけでなく、再び収容所に送られる危険を冒して、瀬野さんは歌日誌を持ち帰り、88年同記念館の開館と同時に寄贈。束ねて常設展示されていただけで、内容は知られずにあったが、昨年11月にNPO法人「舞鶴・引揚語りの会」の和佐貞夫副理事長が手に取った。  特別展は歌日誌の半分ずつを展示する前・後編とした。実物とそれを拡大して読みやすくしたもの、瀬野さんが47年に出版した『シベリア抑留記』を元にした解説も加えた。長女の須藤尚子さん(70)=大阪市=が父への想いを語ったビデオも放映している。  和佐さんは「現地で書かれたものには人名や住所録が多く、このように歌日誌で生活や時々の思いを記録したものはまずない。舞鶴の人が書き残した貴重な宝。ぜひ舞鶴の人に見てほしい」と話す。前編の展示は4月26日まで。後編は5月から。
【問い合わせ】電話68・0836、同館。

写真左=丹念に書きつづられた短歌
写真右=故瀬野修さん

【舞鶴】