戦没者名簿 戦争問いかける 至徳寺で7冊保管、厚労省へ 海軍人事部作成 戦後70年国把握せず【舞鶴】

戦没者名簿 戦争問いかける 至徳寺で7冊保管、厚労省へ 海軍人事部作成 戦後70年国把握せず【舞鶴】

投稿日時:2015年2月13日

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 太平洋戦争で亡くなった旧海軍兵士たちの戦没者通知名簿7冊を、浜の至徳寺(堀尾祐真住職)で長年保管してきたが、国が把握していなかった名簿であることがこのほど分かった。どんな経過で名簿が同寺に残されることになったのかは不明だが、多くの戦死者の名前が記された名簿は、戦後70年たったいまも戦争のありようを語りかけている。厚生労働省に引き渡された。
 明治になって海軍舞鶴鎮守府が設置され、多くの海軍や工事関係者らが舞鶴に移り住んだのに伴い、同寺は真宗大谷派新舞鶴説教所として創設された。戦時中は鎮守府の「英霊安置所」に指定され、終戦までに約4万柱の通夜、葬儀を執り行ったとされる。
 名簿は家族や役所に死亡通知を出した時に、舞鶴海軍人事部が作成した。乗り組んだ船名や舞鶴工廠などの所属、戦没年月日、戦死場所、本籍地、氏名などが記される。場所はルソン、テニヤンなど、本籍地は京都府や東北、北陸などが見られる。古いものでは「昭和十八年十二月二十八日」の日付がある。
 戦後は旧厚労省の舞鶴地方復員残務処理部が、引き揚げ者から聞き取り調査をし、名簿に追加した。「昭和二十九年十二月十五日」の日付があった。同処理部が解体された際、何らかの事情で同寺に預けられたらしい。
 時折、名簿を調べに来る元軍人や遺族たちもいたが、名簿は黄色に変色し紙の劣化も目立ってきたため、同寺が舞鶴東遺族会(坪倉大作会長)に相談し、厚労省に寄贈を決めた。厚労省調査資料室の神山正室長補佐が、同寺を訪れ名簿を確認した。
 神山さんは「名簿は当時の海軍が作った歴史的資料。旧鎮守府の呉と佐世保などで作られた名簿は厚労省に引き継がれたが、舞鶴の分は見当たらなかった。デジタル保存を検討したい」という。
 堀尾住職は「字も薄くなり、きちっと保管できるところに預けたいと願っていた。多くの20~30代の若い人たちが志半ばで亡くなったことを思うと、改めて戦争を身近に考えさせ、いまを生きる私達に問いかけているのではないでしょうか」と話していた。

写真左=分厚い戦没者通知名簿を説明する堀尾住職(左)
写真右=氏名や戦死場所などが記されている