引き揚げの最終船入港50年で舞鶴・引揚語りの会 浜の五条海岸公園に「岸壁の母」案内板設置へ【舞鶴】

引き揚げの最終船入港50年で舞鶴・引揚語りの会 浜の五条海岸公園に「岸壁の母」案内板設置へ【舞鶴】

投稿日時:2008年7月25日

0807252
0807251

引き揚げの最終船が入港して今年で50年を迎えることから、引き揚げの史実を伝え平和を発信しようと、NPO法人舞鶴・引揚語りの会(豊田信明理事長)が、「岸壁の母」の案内板を浜の五条海岸の公園に設置する。1950(昭和25)年まで引き揚げ者の出迎えは五条海岸で行われていた。同会は「引き揚げのことを知ってもらえるゆかりの場所の一つになれば」としている。9月7日に除幕する。  舞鶴港への引き揚げは45年10月7日、「雲仙丸」の入港で始まり、58年9月7日に入港した「白山丸」が最終船になった。朝鮮戦争の影響で50年5月~53年3月まで引き揚げが中止された間を除き、約66万人が舞鶴の土を踏んだ。  引き揚げ者は一旦、平海兵団跡の援護局に入り、GHQが情報収集などをした後に解放され、平から船で五条海岸に移動し、浮き桟橋に上がって出迎えを受け、東舞鶴駅から故郷に帰った。家族らは援護局に立ち入りができなかったため、五条海岸で待っていた。46年から50年まで続き、引き揚げが再開された53年以降はこの浮き桟橋を平に移設し、出迎えは平で行われた。  記念館でガイド活動をする同会は、来館者から「岸壁の母」の舞台となった岸壁の場所を尋ねられる機会が多いことや、出迎えをした五条海岸に紹介するものがないことから、50周年に合わせ案内板の設置準備を進めてきた。記念館に展示している海岸の浮き桟橋で帰りを待つ親子の写真をはめ込む。写真に写る対岸の山と同じ位置に案内板を立てる。経費は募金や府などの補助金を受け約60万円。  同会事務局長の中田照造さん(58)=丸山西町=は「記念館だけではなく、引き揚げに関心を持ってもらえる場が多くあったほうがいい。岸壁で記念写真を撮りたいという声にも応えることができ、引き揚げの地として舞鶴を覚えてもらえれば」と話している。

写真左=五条海岸の浮き桟橋で待ち受ける親子(引揚記念館の展示写真より)
写真右=案内板を設置する浜の五条海岸

【舞鶴】