小倉の重文民家「行永家住宅」 半解体・保存修理が終了、182年前の姿に復元  【舞鶴のニュース】

小倉の重文民家「行永家住宅」 半解体・保存修理が終了、182年前の姿に復元 【舞鶴のニュース】

投稿日時:2003年1月7日

0301071

0301072

府教委が舞鶴市小倉の国指定重要文化財の民家「行永家住宅」(行永壽二郎さん所有)で進めていた半解体・保存修理が昨年12月末で終了し、182年前の建築当初の姿に復元された。元の桟瓦や竹を再利用するなどして、当時の風合いと暮らしを伝えるとともに、建物の後ろはここに住む予定の行永さんの住居として整備された。居住空間を併せ持った民家の復元は、全国的にも珍しいケースとなり、今後の民家保存の事例として関心を集めそう。
 行永家は天明時代(18世紀後半)から小倉村の庄屋を、明治維新前には大庄屋を務めていた。京都市在住の行永さんが管理していたが老朽化が激しく、一昨年2月から行永さんの委託を受けた府教委が調査と復元を進めていた。工事は地元の大滝工務店が担当した。
 行永家住宅は平屋1部2階建て。丹後地方では最古の瓦葺き家屋だが、建築年代がこれまでよりも5年さかのぼる江戸時代後期の文政3年(1820)であることが、今回の解体調査でわかった。また、原型は丹後地方に広く見られる「ダイドコロ」(広間)と「オモテ」(座敷)などからなる「広間型3間取」と判明した。
 座敷は手をつけずに、土間にかまどや庭に仕切りとなる中間も設けたり、広間の畳を撤去して板敷きと囲炉裏、天井は竹簀の子に復元。一度も葺き替えられなかった屋根瓦の約3割とその下の真竹を再利用した。また、最初は撤去予定だった座敷前の石は、講で集まった住民らが手を洗う桶を置いた手水台だったことが、地元の人からの聞き取りで分かり残した。土間の後ろ半分は仕切りで見えないようにして、台所などに整備した。
 担当した府教委文化財保護課専門員の塚原十三雄さん(54)は「農家での生活体験がないので復元には苦労した。住むことを前提にしての保存修理は珍しいので、行永家が文化財と住居としての共存の事例になればと願っている」、同専門員の森田卓郎さん(46)は「天井の簀の子の竹がきれいに残っており、地域の人たちが協力して竹を切り出し、むしろを編んでいったのが目に見えるようだった。それらを再利用して再現した行永家から、長い目で物を考えた先人らの知恵を感じてもらえれば」と話していた。
 行永さんは今年春ごろから移り住む準備をし、5月末には全国重文民家の集いの総会を同住宅で開催する予定。
写真左=板敷きと囲炉裏などを復元した広間。写真右=元の桟瓦を使った建物正面の屋根