大事業の歴史刻む記念碑 東駅南側地主組合 駅周辺区画整理を後世へ 昭和から平成 南北の市街地を一体化【舞鶴】

大事業の歴史刻む記念碑 東駅南側地主組合 駅周辺区画整理を後世へ 昭和から平成 南北の市街地を一体化【舞鶴】

投稿日時:2013年2月12日

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JR東舞鶴駅南側の地主組合が、駅周辺地区の土地区画整理事業完成の証として制作した記念石碑が、南浜の「ドラッグユタカ東舞鶴駅前店」の駐車場隣接地に建てられている。24年間の大事業の歴史と、関わった人々を後世に伝えていくため、記念碑制作事業に約一年を費やし、約500万円をかけ設置された。
 記念碑は横幅2・4メートル×高さ1・87メートルの、インド産の「クンナム」という最高級黒御影石。中国産白御影石の台座の上に建てられている。耐久性が2000年あるとされるクンナムを使ったこれだけ大きな石碑は、全国でも珍しいという。昨年の12月25日に設置され、府や市と協議を重ね、事実を明記した内容の文面などが記されている。
 明治37年に軍港引込線として新舞鶴駅(現・東舞鶴駅)から余部まで、貨物や乗客を運んでいた中舞鶴線が昭和47年に廃止されるまで、東舞鶴駅は中舞鶴方面や小浜方面への貨物経由の分岐点となっていた。
 浜地区の商店街がある北側は乗客の出入り口で、森・行永・倉梯地区がある南側は、貨物ヤードがあり、その周辺には田畑が広がっていた。同55年に貨物の取扱いは廃止されたが、ヤード跡地は未利用のままだった。
 戦中から戦後にかけて強制疎開などもあり、南側へ北側や市外からの移住者が増え始め、同46年に白鳥団地、同47年に芥子谷団地など、山裾に複数の市営団地が建設され始めると、南側の人口は急激に増加した。
 それに伴い、道路整備も進められたが、南北間の移動には、1日に200回近く遮断される鉄道の踏切遮断機を通過しなければならず、勤務先や商店街への買い物などで年々大渋滞を招くようになり、都市生活に支障を来たしていた。
 この状況を改善し、南北の市街地の一体化と、効率良い土地利用をするために、当時の地主組合が、国、府、市、JRに同意を求め、総面積約21・5ヘクタール、総費用約250億円の土地区画整理と連続立体交差事業の話を本格的に進め始めた。
 昭和60年に区画と街路計画がまとまり、同61年に準備事務所が森に設立された。同62年、国鉄がJRとなり、同事業は、地方都市中心市街地活性化計画モデル対象都市に認定された。
 平成元年にJR東舞鶴駅周辺整備事業・都市計画が決定し、事業は同2年度から開始。同八年に駅付近が高架され、同10年に高架下道路が開通し、府が請け負った連続立体交差事業が完成した。同11年にJR舞鶴線が電化。同21年に土地区画整理事業も竣工し、清算期間五年を含んだ事業は同25年度に終了する。

写真=ドラッグユタカ東舞鶴駅前店の駐車場隣接地に建てられた石碑