原発事故で故郷なくし 浪江町出身 西方寺平の泉さん、甥の悔しさ重ね米づくり 兄一家、離散し避難生活【舞鶴】

原発事故で故郷なくし 浪江町出身 西方寺平の泉さん、甥の悔しさ重ね米づくり 兄一家、離散し避難生活【舞鶴】

投稿日時:2015年3月27日

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福島第1原発事故の影響が続く福島県。避難者は約11万9000人にものぼる。西方寺平で農業を営む泉金雄さん(64)は、原発から10キロ圏内にある浪江町請戸(うけど)で18歳まで暮らした。実家を津波で流されただけでなく、いまも避難を余儀なくされる米農家の兄一家は事故で農地を奪われ、県内の他市でバラバラになって生活を送る。
 原発に隣接する浪江町は帰還困難区域などに指定され、全域に避難指示が出ているため、約2万人の町民が全国46都道府県に避難し暮らす。町役場は県内の二本松市に仮庁舎を置き、町の復興を模索する。
 請戸の魚市場そばに実家がある。長男である兄が実家の農業を継ぎ、その後は兄の息子が20町の田を耕作してきた。いま請戸地区は避難指示解除準備区域となり、一時帰宅はできるが宿泊もできず、住民の帰還のめどもたっていない。そのため兄夫婦は福島市の仮設住宅で、息子の家族はいわき市で避難生活を送る。三男の兄夫婦が津波で亡くなった。
 一時帰宅の許可が出た昨年3月、実家を訪れた。道路は片付けられていたが、周囲のがれきは手がつけられておらず、震災当時のままで、原発事故の影響で復旧が進んでいない様子を実感した。自宅は土台の跡と壊れた自家用車が残るだけだった。
 兄たちに毎月、自作の米を送っているが、農地を汚され米づくりができない甥の悔しさを、安全な食べ物を作ろうと農業を始めた自らに重ねている。「兄たちは孫が学校に上がるため、いつまでも仮設にはおられないと、故郷に戻らず今年中に県北部の新地町で新しい生活を始めるようだ」という。
 福島第1原発で続く汚染水漏れと情報隠し、そして近隣の高浜原発再稼働に向けたニュースを聞くたびに、泉さんは「事故の教訓が活かされていないのでは」と感じている。
 「どうしてそこまでして情報を隠さなきゃいけないのか。原発災害は自然災害と違ってすぐに復興できるわけじゃない。避難が難しいことは今回の事故で明らかになったのに」とやりきれなさを抱えながら、舞鶴の地で土に向き合っている。

写真左=「事故の教訓を活かして」と話す泉さん
写真右=津波に流された浪江町の実家跡。2011年8月に撮影されたが、昨年訪れた時も同じ状況だった(泉さん提供)