元字行永会、地域を調べ後世へ伝えよう 絵図や写真も掲載して年内完成予定「行永史」【舞鶴】

元字行永会、地域を調べ後世へ伝えよう 絵図や写真も掲載して年内完成予定「行永史」【舞鶴】

投稿日時:2009年11月27日

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元字の行永地区の縁故者らで組織する元字行永会(工原正通総代)が、地域の歴史を書き伝えようと、「行永史」の本づくりを5年がかりで取り組んでいる。水害による災害や産業、教育、年中行事、海軍の軍用地や都市化への変遷などの項目ごとに、編纂委員らが資料収集や聞き取りなどをして、絵図や写真も掲載して約400ページにまとめる。本は年内に完成の予定。12月4日には記念講演会を開く。与保呂川と椿川と寺川のつくる平地が行永の歴史を繰り広げた舞台とされ、田辺藩時代には米の石高が藩内第1となり豊かな実りをもたらした農村だった。1884(明治17)年には、余部上村や与保呂村など12村を含めて行永村と呼ばれ、続く89(同22)年の町村制の施行で、倉梯村に名称が変更されたり、大字名も行永から変わった地区もある。行永の歴史を地元の小学校で住民たちが何度か話したのを機に、地域をもう一度調べ直し、形にして後世に残そうと、元字の集会所の管理や行事を主催する元字行永会で2004年、郷土史の作成を決定。舞鶴市文化財保護委員会会長を務める山内羔児さん(77)=行永東町=を委員長に、編纂委員会(5人)を設立した。行永村の生い立ち、産業、教育などの各項目ごとに、古老から聞き取りや原稿の執筆を始め、話し合いを重ねた。昭和初期に書かれた倉梯村史を参考に、市街地へと変貌する昭和・平成の姿も書き加えたほか、村の集会記録の資料や写真なども掲載。明治に海軍の病院と住宅地の建設のための用地の強制買収、与保呂川の洪水による災害の苦難の歴史も記す。山内さんは「歩んできた昔と今の姿を書き留めておくことは、今後の行永を考える上で意義あることと思います」と話している。本はA5判。京都府地域力再生プロジェクト支援事業の補助を受け350部作成し、元字行永会の会員180人に配布する。また、発刊記念事業として11月から講演会を開いている。12月は4日午後1時半から行永公会堂で、遺跡と古墳をテーマにする。来年2月まで月1回開催予定。だれでも来場できる。入場無料。

写真=明治6年作成の行永村見取り図を見て話し合う編纂委員ら