『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』 関本さん(大波上)が自費出版、市内の書店に【舞鶴】

『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』 関本さん(大波上)が自費出版、市内の書店に【舞鶴】

投稿日時:2005年7月29日

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大波上の農業、関本長三郎さん(61)が、1941年から終戦まで、旧海軍の重要な爆薬製造施設だった朝来地区の第3火薬廠(しょう)の実態を本にまとめ、出版センター「まひつる」から『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』のタイトルで自費出版した。2年がかりで元勤務者の123人から聞き取り、動員学徒が書いた日誌や海軍技師が所持していた工場の詳細な施設図の復刻版も収録。戦後60年のいま、第三火薬廠の全貌を初めて明らかにした労作となっている。7月29日から市内の書店で販売している。旧海軍は1929年、火薬廠爆薬部を移転した長浜工場が手狭となったため、39年から朝来、大波、白屋など旧朝来村の約46%を買収、住民の60戸を立ち退かせ、約615ヘクタールの敷地に製薬・成形工場などを41年に完成させた。全国に3カ所の火薬廠が設けられ、第三火薬廠の朝来工場は年間3000トン以上の爆薬を製造、海軍が使用した半分を担ったとの指摘もある。最大で職員164人、動員学徒1209人などの5000人が働いていた。工場の廃墟を見て育った関本さんは、地域の生活を一変させた第三火薬廠の全体像をまとめた記録がないことから、少しずつ関係資料を集め、一昨年から本格的に調査を開始。元勤務員でつくる「爆友会」の世話人、谷口篤稔さんから413人の名簿を入手し、市内や、東京などの75歳以上の123人から聞き取った。その調査の中で、60年だれにも言えなかった話を聞かせてもらい、「ぜひ記録を残してほしい」と励ましを受けた。本はA4判で222ページ。動員学徒や工員らの座談会の話▽工員宿舎の火事、人間魚雷の爆薬実験、かぶれの酷さなどの証言▽学徒動員の舞鶴第2中学校の級長が45年4月から8月まで書き綴った学級日誌などを掲載した。また、元海軍技師の三浦海洋さんから提供を受け、関本さんが手を入れて復刻した詳細な施設図、神戸商船大学図書館所蔵の資料「第三火薬廠に於ける爆薬生産作業の実施経過」などの貴重な資料も盛り込んだ。800部印刷した 関本さんは「火薬廠に勤めていた人たちの気持ちは、重く深いものがありました。後世の人への平和のメッセージになれば」と話し、いまは藪の中に残る火薬庫などの戦争遺跡の活用を訴えている。本は1冊1200円。市内の舞鶴堂書店、ASUKA、浪江書店で販売中。
【問い合わせ】電話62・5736(FAX兼用)、関本さん。

写真=労作の『住民の目線で記録した旧日本海軍第三火薬廠』を手にする関本さん